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disjunctiveさんのコメント: 点数順

★3るろうに剣心(2012/日)身のこなしがマンガベースであり、人の動作に時間がかかってしまう。演出家の制御が効く単体ならばまだしも、人と人が絡むとなると演技の文法が不明になる。後背のモブが所在なさげで、いかなる挙動をすればいいのか困惑しているように見える。 [review][投票(1)]
★3ローン・サバイバー(2013/米)追われて山を下る人の表情を捉えるべくショットは煽られ、マーク・ウォルバーグの、高橋悦史を彷彿とさせる鼻の穴が謎の迫力で画面を圧倒する。 [review][投票(1)]
★3赤い影(1973/英=伊)オカルト体質でありながらそれを全く認知しない体質は、認知できないものを説明する営為を目指しながらも啓蒙主義的となり、表層にとどまろうとする世俗化のいじらしさを訴え始める。ただ、不穏の説明を拒絶するこの精神は事件をサザーランドの自家中毒にしてしまう。[投票(1)]
★3無防備都市(1945/伊)マンフレディに対するご婦人のシナの作り様からマリーナの顛末に至るまで攻撃的な母性が充溢するのだが、攻撃性と母性がかみ合わないようにその充溢には不斉がある。 [review][投票(1)]
★3スター・ウォーズ フォースの覚醒(2015/米)アダム・ドライバーのキモさが、人間の重厚さや状況の切迫感を犠牲にして、童貞二人が鞘当をやる少女マンガ的女権ハーレムの構造と中学生日記的青春群像性というシリーズの本質を存分に露曝させている。演出家の資質が活かされたのではないか。[投票(1)]
★3アビエイター(2004/米=日=独)男の人生において病歴をどう位置づけるか、確定できないのは現実的だとしても、実際に話として提示されるのは、いかに症状が進んでも仕事には支障がないという不条理である。 [review][投票(1)]
★3少年H(2013/日)風俗に対する博物や図解の精神や音響だけで初空襲を描画するようなリアリズムの対象が静物にとどまらず人間についても発揮されてしまい、水谷豊の出来過ぎた造形として帰結すると、社会科番組の再現ドラマのようなテイストにどうしても近くなってしまう。[投票(1)]
★3バードケージ(1996/米)ゲイという在り方を一種の無能力と表現する以外に術を持たない話である。これは、障害物競争という技術論へ終始して、人の価値観を殊更に変えたがるような政治観から逃れようとする態度と関連があるのだろう。 [review][投票(1)]
★3ギャング・オブ・ニューヨーク(2002/米=独=伊=英=オランダ)レオに対するダニエルの恩顧がレオに葛藤をもたらすことはなくて、レオの可愛さのあまり、自分の外分を損なうことなく、いかにこれを赦すかというダニエルの手加減の話になっている。 [review][投票(1)]
★3ビフォア・ミッドナイト(2013/米)9年前、男を誘ったあの尻は肥大し、浜辺に打ち上げられた鯨のような肉塊となり、彼の眼前で豊饒な脂を湛えている。自ら進んで脂の海へ乗り出す男の勇気は、役者根性の発露としか見えないほど、事態は男にとって懲罰と化している。 [review][投票(1)]
★3ラスト・ナイツ(2015/米)描きたい徳に簡明さがなく、それを行動で表現するには曖昧すぎるとすれば、かかる行動が徳であると定義を与えてくれるような、指標となるキャラに依存するしかない。それが伊原剛志なのだが、 [review][投票(1)]
★3フィクサー(2007/米)ストレス耐性を備える女性という生き物に、あえてストレスを与えてみようという実験精神である。便利屋部隊が便利すぎて、話に緊張を見出す術はないが、ティルダがストレスに耐えてしまうため、便利屋部隊の放縦が事態をどこまでも進めてしまう依存関係ができあがる。 [review][投票(1)]
★3天と地と(1990/日)人間が下品な挙動を起こさないのは、語り手の文化的背景の賜物であると思う。悪趣味は確かに散見されるが、あくまでキャラの心情に対する隔たりがあるため、不快には達しえない。 [review][投票(1)]
★3007/ロシアより愛をこめて(1963/英)旅客車のコンパートメントの構造が、カバンのガス噴射に至るようなピタゴラスイッチ的顛末の予測という吉兆ないし凶兆の制御を通じて、あの莫迦らしいガジェットの数々を生かしている。 [review][投票(1)]
★3舞妓はレディ(2014/日)娘はサラブレットだから、ある日、唐突に芸が出来上がってしまい、課題が解消される感覚は、周囲の人物たちに担われている。それは、過去に無駄と思えた投資が、今、娘のサラブレット性を通して、結実した感覚。 [review][投票(1)]
★3名探偵ゴッド・アイ(2013/香港)アンディ・ラウの亢進する甲状腺が、受け手を飛躍に馴らしながらも、本当に飛躍すべきではないものについては、われわれは確実に認知できてしまう。 [review][投票(1)]
★3夜霧の恋人たち(1968/仏)多動性障害が社会に受容される様が表現されていて、気送管や靴屋の構造といった、その過程で用いられるガジェットの濃密さが、飽きさせない。派生するゆるふわな恋愛観も、タバール夫人の造形として要約されることで、何か深いものを見た感を与えてくれるようだ。[投票(1)]
★3家庭(1970/仏=伊)ルームメイトとやり取りするキョーコの芝居が強烈なのは、演出の統制が及ぶべくもないからだ。あの不穏さは、感情のマグマ溜まりとして働き、語彙の制約でそれを直截に表現できないほど、官能のほてりは匂うように、大気に拡散する。 [review][投票(1)]
★3終電車(1981/仏)抽象的な舞台装置と乱雑な舞台裏を往来しても、視覚的な亀裂が生じない。語り手の集中力のなさが、人を動かしてカットをつなぎとめるという技術的な勝利に貢献している。だが、これらは互いに侵食を企てる。侵食するから、愛の形が不明瞭だ。 [review][投票(1)]
★3イントゥ・ザ・ワイルド(2007/米)親の不和に由来する家庭事情はそのままでは人生の課題として弱いように見える。自分に起因するものではないからだ。ゆえに、放浪と課題がリンクできず、単なる遭難事故の話になってしまう。 [review][投票(1)]