[コメント] 嫌われ松子の一生(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ハイコントラストのガチャついた、いわば「かっ飛び面白映像」をもって中島哲也らしいと言っているのではない(テレビとの関わりは特徴の一つだが)。 常々、中島哲也作品は「夏休みの終わりの匂いがする」と私は言っているのだが、本作もまた然り。 いや、松子についてではない(それはそれで堂々たる『西鶴一代女』だが)。 甥の瑛太についてである。 彼が伯母の人生を遡った後に感じたであろう感覚は、まさしく「夏休みの終わり」ではなかっただろうか。
また、中島哲也の特徴の一つとして、「川」と「空」がある。 ここにどんな意味が込められているのか分からないが、監督が好んで使うモチーフである。 それをとうとう今回は、二つの川を空撮で(イメージとして)結ぶということをした。 空撮という映画的運動の中で、川のほとりですれ違う松子の人生の断片を切り取り、川とともに人生をも遡る。 この映画最大の見せ場であり、中島哲也の真骨頂とも言える。
そして満点の星空。そこにいるのは醜い中年女ではない。「太ったキリスト」なのだ。
監督自ら脚本を書く意義をまざまざと見せつけられた。 文字では表現しきれない圧倒的ビジュアルイメージ。 妹の髪形から、街でナンパされた女子高生がAVパッケージを飾るに至るまで、脚本にしたら膨大な文字数になりそうな伏線やら小ネタやらが詰め込まれている。
もう一つ特徴的なのが役者の使い方。はっきり言って使い捨てる。使い捨てまくる。 豪華キャストは三谷幸喜もそうだが、両者の役者の扱いは大きく異なる。 三谷幸喜は「芝居」を求めて役者を起用し、中島哲也は「画面」に合う役者を起用しているように感じられる。 その結果、「使い捨て」にも関わらず「適材適所」。三谷作品よりも個々の役者が輝き、強烈な印象を残しているような気がしてならない。いや、むしろ、その起用が必然であったとさえ思わせる。
爽やか教師は谷原章介でなければならないし、田舎の頑な弟は香川照之でなければならない。日本一ヒモが似合うのは武田真治だし、電話の向こうで泣き言を言うのは柴咲コウなのである。商才を持ち合わせていそうなアダルトは『六月の蛇』黒沢あすかにピッタリだし、登場するなり泣き叫んでいるのは『キャシャーン』伊勢谷友介に相違なく、AVに出演させられちゃうのは童顔と豊満ボディがアンバランスな蒼井そらしか考えられず、崖っぷちに犯人を追い詰めるのは片平なぎさしかいないのである。あ、最後のは船越英一郎でもいいな。
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