動物園のクマさんのコメント: 更新順
妹(1974/日) | これですよ、秋吉久美子です。この危なっかしさ! | [投票(1)] | |
二十歳の原点(1973/日) | 踏み切りの場面など、カメラの美しさ・迫力。映画館を出た時は「闘おう」と心に誓ったのになあ。この時代にあこがれる、不遜な言い方で言えば高野悦子にあこがれる、「それはなぜか」を、何歳になっても問う不思議な映像です。 | [投票] | |
僕の村は戦場だった(1962/露) | 演出家として上手とはあまり思えないのに、何かが残るのがこの監督の特徴かな。映画的興奮とも少し違う。無理を感じるのを乗り越えて、画面に惚れるか惚れないか、が境目。笑みが無くなった少年に3点。 | [投票] | |
お茶漬の味(1952/日) | 台所にも入ったことの無い木暮実千代の危なっかしい包丁使い。ちょいとしたしぐさから香るあの濃厚な色気は、いやはや小津っぽくない。でも、小暮さんはもちろん津島恵子といい淡島千景といい、美人だなあ。 | [投票] | |
麻雀放浪記(1984/日) | 映画ファンが原作に惚れてぞっこんで思いを込めて作りました、役者も芝居っ気たっぷり。だから観ていて疲れた。遊びでいいのに、、、、。 | [投票(2)] | |
暴力脱獄(1967/米) | 固ゆでだとつらいなあ。 | [投票] | |
魔女の宅急便(1989/日) | お父さん、高い高いして!そうそう、高い高いされた時の浮遊感! | [投票] | |
最前線(1957/米) | 狭苦しい空間、画面の精密な作り、やり場の無い無機質な緊張感、まさにマンの真骨頂。でも、低予算でロケでスターなし、スペクタクルでもないし、ヒューマンでもないし、客は呼べないんだろうなあ。傑作。 | [投票] | |
刑事(1959/伊) | もう、これこそがC・Cでしょ!走れ、走れ、倒れても走れ。 | [投票] | |
終着駅(1953/伊=米) | 映画内的時間と映画外的時間がほぼ一致している映画の代表作だけれども、それ程度の感慨は味わえたのは、演出の腕かな。いつも誰かが邪魔をする、作劇の妙は、メロドラマの手本。でも、ローマでの何日間は想像する気にはなれない。 | [投票] | |
乱れる(1964/日) | 高峰秀子曰くのまさに「息が詰まる」映画。一見おんなを感じない彼女だからこその緊張感ある二人の日常、列車での道行、そして、信じられない奇跡的なラストカット。美術もまさに芸術品。 | [投票(3)] | |
電話で抱きしめて(2000/米) | お母さんがはっきりしてて、とてもいさぎいい。 | [投票] | |
大殺陣 雄呂血(1966/日) | ここまで追い詰めれば、かえって爽快。観ているこちらがくたくたになる殺陣。周辺を固める役者が達者。あんなに切りまくる男を見て、八千草さんは恐くならないんだろうか。 | [投票] | |
女狙撃兵マリュートカ(1956/露) | 光る目。渦巻き打ち寄せる波。瞬く炎。クローズアップとオーバーラップ。ここまでやるか、の剛速球。41番目に狙撃されたのは? | [投票(2)] | |
硫黄島からの手紙(2006/米) | この作品に物足りなさと違和感を持つ自分が、日本的なるものに対してぬぐいがたい先入観と信仰の持ち主であった、ことに気づいた。「今際を生きる」ことと「これからも生きる」ことの価値観的対立。 | [投票] | |
戦火の勇気(1996/米) | メグ・ライアンの痛々しいほどの奮闘振りが、この戦争と、この戦争を素早く題材にしたがったこの国の映画界のみすぼらしさを見事に表現している。 | [投票(3)] | |
ブルックリン横丁(1945/米) | 「あれはいい映画だよねえ」という回顧的な言葉がぴったり。人間には未来があり、若者には希望がある、なんてくさい感想がよぎるのは、もちろんペギー・アン・ガーナーのおかげ。 | [投票] | |
フレンチ・コネクション2(1975/米) | ベルナール・フレッソンの肩幅のなさ、が画面空間の窮屈さを象徴。ロケの必要の無い窮屈な空間が、ハックマンのでかい体と走りを際立たせた。 | [投票] | |
ひまわり(1970/伊) | 見え見えのいろいろな仕掛けに喜んで乗っかって、多少のつじつまの合わなさを喜んで受け入れて、さあ泣くぞと気合を入れて泣ける。やっぱり名画。 | [投票] | |
モロッコ(1930/米) | まあ、ディートリッヒにベタぼれじゃないと、こんな映画にはならんわな。男の色恋は形になるなあ。 | [投票(1)] |