A | ★5 | 地の群れ(1970/日) | 歴史として背負わされた根深い過去。被害者として背負わざるを得ない痛ましい過去。若き日の過ちとして背負った悩ましい過去。その枷と傷と後悔が渦巻くさまを、熊井啓は冷徹なまでに淡々と描く。そこに炙り出されるのは生きている人間の罪そのものだ。 | 投票(1) |
A | ★3 | 日本の悪霊(1970/日) | 極めて思慮的な高橋和巳の原作を、何の思慮もなく映画にしてしまった感があり、それはそれで別に良いのだが、左翼くずれのヤクザと航空隊あがりの警官の入れ替わりというアイディアだけで、勝手に何やら思想らしきものが見えるのではないかとたかを括ったのは怠慢。 | 投票(1) |
A | ★3 | 東京戦争戦後秘話(1970/日) | 原正孝の脚本はバカがつくほど正直に心情を露呈しているのだが、それが「何か」に成り得るとはとうてい思えず、若者を珍しくも優しく見つめる大島の視線も柔すぎる。成島東一郎と編集の浦岡敬一が参加していなっかたら目もあてられない駄作になっていただろう。
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A | ★3 | 無常(1970/日) | 実相寺昭雄監督特有の、カメラアングルとサウンドエフェクトがたっぷりと堪能できるのだが、何とも話に救いがなさ過ぎる。ユートピアへの夢が潰えた70年代初頭という時代は、ここまで虚無的なヒーローをも必要としていたのであろうか。 | 投票(1) |
A | ★0 | エロス+虐殺(1970/日) |
A | ★0 | 煉獄エロイカ(1970/日) |
B | ★4 | 告白的女優論(1971/日) | 実験的な体裁をとりながら、結論ではなく過程を重視するという点で、ここで試みられているのは「実験」ではなく積極的な「遊び」の享受だ。吉田喜重の上品な遊び心が、映画を構成する全ての要素、とりわけ「女優」への愛情となってちりばめられている。
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B | ★4 | 儀式(1971/日) | 桜田家という制度の中で淡々と続く儀式。戦後の価値の混乱期と共に成長する子供達は儀式と血統を嘲笑しながらも制度の重圧に埋もれていく。戦後25年、大島の節目。 | 投票(3) |
B | ★4 | 書を捨てよ町へ出よう(1971/日) | 30余年を経て再見しても、その真摯な挑発は変わっていなかった。無名であるからこそ、自ら行動しなければ何も起こりえないという明解な信実。 [review] | 投票(2) |
B | ★3 | あらかじめ失われた恋人たちよ(1971/日) | 言葉を封じる暴力をまえに通じない言葉に足掻き、言葉を持たない者たちの意図せざる強固さに追随する道化師石橋蓮司の滑稽。ケレンなき武骨な語り口は“この時代”の素人演出の武器であり限界でもある。撮影所システム崩壊に乗じ乱入した異才の異物的快作。
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B | ★0 | 修羅(1971/日) |
B | ★0 | 秘花(1971/日) |
B | ★0 | 曼陀羅(1971/日) |
C | ★5 | 天使の恍惚(1972/日) | 同時代のテロリストを、描いたというよりは写し取ったような切迫感が渦巻いている。当事者たちと思いを一つにしていたとしか思えない本気さを持ちながら、思想的暴走の半歩手前で踏みとどまった若松孝二のセンスがこの作品の良心を支えている。 | 投票(1) |
C | ★5 | 津軽じょんがら節(1973/日) | 女は真紅、男は黒。ふたりが立ちつくす無彩色の浜。轟音をとどろかせる荒波。叩きつける津軽三味線。斎藤真一の不気味な絵までもが美しい。 [review] | 投票(3) |
C | ★4 | 股旅(1973/日) | 未熟ながら個々の意思で生きようとする若き渡世人たち。そこには群でしか行動できない者への、市川&谷川からの痛烈な批判がある。 | 投票 |
C | ★4 | 夏の妹(1972/日) | 何も知らない客を話題の役者で釣って、観念的な映画を無理やり見せてしまうのは、大島さんの昔からの手です。気をつけましょう。 | 投票(2) |
C | ★3 | 戒厳令(1973/日) | 個人ではなくその思想で、国家ではなく天皇そのものと対峙しようと試み、敗れ行く思想家として描かれる北一輝像は興味深く、緊張感に溢れた硬質な画づくりも魅力的ではあるのだが、その抽象性が説得力を得るまで昇華されていないもどかしさを感じる。 | 投票(1) |
C | ★3 | 哥(1972/日) | 新たに構築されるべき価値と、その運動が無に帰したとき、形骸化したカタチだけが亡霊のように残った。いつの日か魂が復活したときの拠り所として、カタチを死守しようとするジュン篠田三郎に託した石堂淑朗と実相寺昭雄の願いと叫びは悲痛だ。 | 投票 |
C | ★3 | 心(1973/日) | 何故、1973年にあえて漱石なのかは分からぬが、この意外と単純な普遍的男女のエゴ話が、70年代の映画に特有のテイスト、つまり停滞と閉塞感にしっくり馴染んでいるのが面白い。それにしても、新藤作品における母と娘(実娘であれ嫁であれ)の存在感の特異なこと。 | 投票 |