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mootさんのお気に入りPOV(1/2)

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村上春樹と映画村上春樹は早稲田の「映画演劇科」出身で、当時大学の文学部で映画の専攻課程を持っているのは早稲田と明治と日大ぐらいで「まあ映画関連ならなんでもいいや」という感じで早稲田に入ったらしい。 「ちょうど学園紛争の頃で授業などほとんどなかったからアパートとアルバイト先と映画館というトライアングルをぐるぐる回るほど」浴びるように(1年に200本以上は)映画を見ていたそうで、シナリオ執筆などもしていたという。ちなみに卒論テーマはずばり「アメリカ映画における旅の系譜」だとか。★ 氏の作品はアメリカ作家からの影響が大きいそうだが、こうしてまとめてみると、洋画から得た部分も大きかったのではないかと推測でき、実際「映画をめぐる冒険」によると「羊をめぐる冒険」の別荘での鏡のシーンは『我輩はカモである』をヒントにしたとあり、逆に「スメルジャコフ対織田信長家臣団」によると『カラー・オブ・ハート』の架空の街が「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に似ていると述べている。 また、四方田犬彦は「世界は村上春樹をどう読むか」で「羊をめぐる冒険」のホテルや「レキシントンの幽霊」の幽霊屋敷のパーティーと『シャイニング』、「海辺のカフカ」冒頭と『ピクニック at ハンギングロック』との類似性について指摘している。 ★監督はメル・ブルックスジョン・カーペンター、男優はマルクス兄弟が大好き(村上朝日堂)で、女優はシシー・スペイセクロザンナ・アークエットのファン(村上朝日堂の逆襲)らしい。近年は特にアキ・カウリスマキの"いささかまともじゃないところ"が好きらしい(夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです) ★コメントはその映画について触れた著作名(略称)、その映画について触れた箇所の抜粋または要約となってます。ただ、一部(とくに「映画をめぐる冒険」)かなり強引に要約したものもあるので村上氏の本意とは違う感じになっているかもしれない。複数の著作で触れられている作品は僕が気に入ったコメントの方を載せてます。とりあえずコラム中心で、そのうち小説からも随時追加予定。(最終更新:2014.10.1) ★A・・・あ行、B・・・か行、C・・・さ行、D・・・た行、E・・・な行、F・・・は行、G・・・ま行、H・・・や行以下TOMIMORI
フェミニーナ・ジャポネA:タナダユキ B:井口奈己 C:横浜聡子 D:荻上直子 E:西川美和けにろん
デヴィッド・サミュエル・ペキンパー1925年2月25日生/過度の酒を飲みコカインを常用。プロデューサーに喰ってかかり、妻を殴り、俳優に喧嘩を仕掛ける。求めるものを得る為にはスケジュールも予算も、恩人や友人との約束も守らない。気に入らないスタッフは(たとえ実の娘や親友であっても)撮影中にどんどん解雇する。自分から人に好かれようとはしない男。/D・シーゲル『第11監房の暴動』でサード・キャスティング・ディレクター。TVドラマの仕事を経て『荒野のガンマン』で映画監督デビュー。『ダンディー少佐』でプロデューサーと衝突。トラブルメーカーのレッテルを貼られ以後5年近くハリウッドで干されることとなりTV界に戻る。ドラマ『ヌーン・ワイン』の成功が鍵となり『ワイルドバンチ』でカムバック。『ゲッタウェイ』で初の興行的成功。仕事もなくアルコールとコカインの禁断症状に苦しんでいる時に、師シーゲルに声をかけられ『ジンクス! あいつのツキをぶっとばせ!』で数週間だけ現場復帰。5年ぶりに与えられた作品『バイオレント・サタデー』では、この問題児を起用する条件として数々の厳しい条件が突きつけられたが、当時のペキンパーはそれを跳ね返せるような立場にはなかった。84年12月一人で旅行中のメキシコで倒れ、28日ロスの病院で永眠。心不全。/A=監督した作品(「ダンディー」以前)B=監督した作品(「ダンディー」以後)C=関わった作品。D=最終的には関与出来なかった作品。E=彼に間接的影響を与えた作品。H=「好きなのは自分の映画だけだ。他の野郎どもにいい映画を作ってほしくない」と公言しながら、実は好きだった作品。cinecine団
地名がついた映画たち。国名や都市名が作品名にあると、創造性が広がるのは自分だけ?あちこちの地名の入ったタイトルの作品たちをリストにしてみたぬ。(洋画のみ)。TOBBY
−別の俳優、監督が関わるはずだった映画−出演が予定されていたにも関わらずスケジュール的に合わなくなり出演を断念、出演オファーされたものの、脚本・役柄に納得がいかず降板、製作者と意見が衝突し監督の座を降りたなど、本来なら、別の俳優・監督が関わるはずであった映画を集めてみました。 ※噂段階のものも含めていますので、もし違っていたらごめんなさい。※A:60年以前 B:60年代 C:70年代 D:80年代 E:90年代 F:2000年代kawa
若尾文子〜美は乱調にあり1990年、フランスの「ナント映画際」で「若尾特集」が催された時、ゲストとして招かれた若尾文子は、当地の人々の余りの歓迎振りに「ただ呆然とした」という。なぜなら、日本での彼女は(一部の評論家&マニアを除いて)ほとんど忘れられた存在であったからだ。それから10年後、埋もれかけた若尾文子は本国でも発見される。単なる「女優」としてではなく、今後益々「リアル」になっていく「女」の一人として。そしてまた、現代にあって本当に「肯定できるもの」を捜し求める一人の「人間」として。そんな彼女への「感謝」の気持ちを込めたささやかなPOV。ABCは映画の出来ではなく、スクリーン上における彼女の存在感&魅力に対する評価です。若尾好き
アジア的遊撃者アジアの映画が一定量で日本に紹介されるようになったのは、おそらく80年代からだと思う。実は、アジア映画はあまり観ていなかった。ここ数年かけて、過去に遡って目ぼしい監督たちの作品を後追いで見続けている。実に楽しく充実した体験の連続だ。80年代に紹介された監督は、すでに評価も定まり、それに見合う実績を残している人たちばかりで、これはこれで面白い。しかし、やはり最もエキサイティングなのは90年代以降に、デビューした監督たちだ。彼らは、「今」を撮らなければならないという「何か」を強烈に発散している。それは、例えばツァイ・ミンリャン(A)やキム・ギドク(B)の突き進むようなパッションだったり、自らの置かれた状況を懸命に撃とうとするジャ・ジャンクー(C)やバフマン・ゴバディ(D)のある種の切実さや使命感だったりする。日本にも、こういう作家がいないものかとさんざん考えたのだが、なかなか思い浮かばなかった。ようやく思い至ったのが山下敦弘(E)だ。この人の作品が醸し出す「噛み合わなさ」や「届かなさ」は、やはり「今」を象徴しているのではないかと思う。ぽんしゅう
撮影監督ネストール・アルメンドロス●映画の魅力の多くを占める映像。その素晴らしい作品を生み出してくれた職人魂に敬意と感謝を込めてのPOVです。中でも尊敬するネストール・アルメンドロス(Néstor Almendros 1930-1992)。スペイン・バルセロナ生まれ。フランコ政権を逃れキューバに亡命した父のもとに家族で渡る。ローマやニューヨークで学び、キューバに戻って映画の活動を始める。フランスでスチール・カメラマンとなり、のちに撮影監督となる。ロメールやトリュフォーの映画で知られ、さらに国際的な活躍をしました。どんなシーンも絵画のように美しくしてしまう方ですが、惜しくもエイズで亡くなりました。◆A)フランソワ・トリュフォー監督◆B)エリック・ロメール監督◆C)ロバート・ベントン監督◆D)その他の監督。●自身も穏やかで謙虚な性格で、そうした監督との仕事を好みました。特にトリュフォーはキューバ時代からのファンだったそうです。colour(カラー) monochrome(白黒)ルッコラ
孤独も愛せるあなたに孤独な時間は自分と2人きりになれる時間。一生孤独なのはイヤだけど、たまにはこんな時間も持ちたい。そんな人に良質な孤独感を約束する映画です。mize
映画タイトル人間第一号身体のパーツがタイトルになっている映画を集めてみたら、一人の人間ができてしまった。誰が想像したであろう、映画で構成された人造人間の完成だ!これでわたしもマッドサイエンティストの仲間入り!ふははははは…ハァ…わたしはバカです… A:頭部、B:目元、C:口元、D:顔面と頚部、E:胴体と腕、F:足、G:皮膚と骨格、H:循環器系はしぼそがらす
シネマスコープの歴史(定義)シネマスコープとは、元来、20世紀FOX社の商標名であり、他社の同等製品を含めません。しかしながら、ヴィスタ、シネラマ等他のワイドスクリーン技術との明確な区分を図るため、ここでは敢えて慣例に従い、「シネマスコープの歴史」と冠することとします。識者の方にはご了承いただきたい。(概要)シネマスコープでは、標準縦横比1:1.33とされていたスクリーンサイズが、1:2.35〜2.55まで拡大されます。撮影時、映写時にそれぞれ、フランスで基礎が確立されたアナモフィック・レンズ(←これは一般名詞です)と云う特殊に研磨されたレンズを用い、画面の横幅を倍に引き伸ばすことで映像の拡大化を図るものです。アナモレンズが装着されたカメラで撮影された画像は、横幅が圧縮されています。映写時にこれを再び横に引き上すわけですが、このため撮影や現像に用いるフィルム、及びカメラは従来のものを使用でき、撮影システムの根本を入れ替える必要はありません。劇場としても横だけを延ばすわけですから、スクリーンを張り替えればいいだけで、屋根を高くするだとか、シネラマのように映写機を三台用意するだとかいう大掛かりな設備投資が不要となります。これらの理由からシネスコは登場から数年で一気に世界中に普及していきました。(歴史)シネマスコープの歴史は、フランスの科学者アンリ・クレティアン博士が発明したアナモフィックレンズ”シネパラノミーク”の技術を、アメリカの20世紀FOX社が買い取ったときより始まります。FOX社はボシュロム光学社と共同で、独自のシネマスコープ技術を開発し、1953年9月、宗教的題材を扱った大作『聖衣』で、実用化に成功します。一方、フランスでもシネパラノミークレンズを使ったワイドスクリーン技術が確立され、ディアリスコープ、フランスコープなどと命名、『水色の夜会服』で実用化に成功します。FOXは当初、自社の技術を独占し、一切の譲渡を認めませんでしたが、フランスはこのことに比較的寛容で、日本、イタリアを始め多くの映画先進国にその技術を輸出しはじめました。その為、録音部分の一部を削ることで撮影領域を増やし、1:2.55サイズを基本としていたFOX産シネマスコープは、フランスで基準とされた1:2.35サイズに駆逐され、妥協せざるを得ず、シネマスコープ=1:2.35が、一般的となっていきます。(欠点)シネマスコープには決定的な欠点がありました。それは画面左右の歪みです。この欠点を克服するため、撮影者の様々な工夫や、”ナチュラマ”などの新レンズが生み出されていきます。そして遂に’59年頃、パナビジョン社が決定的に優れた一体型アナモを開発、アカデミー撮影賞カラー部門を独占、アメリカ市場を席巻し、ボシュロム社はコンタクトレンズ開発に追いやられてしまいます。(周辺的技術の概要については次回更新以降、追記させていただこうかとかと思います)町田
映画の教科書〜サイレント再考音に頼らずにいかに映像で語ることができるか?コレがサイレントの楽しさ。技術の進歩の前になおざりにされがちな、様々なアイディアの原体験。教えられるものは今なお大きいデス。淀川先生の後継者の登場を祈りつつ・・・。A:有名どころ。普段サイレントを見ていなくても、接する機会が多いと思われるもの。B:名匠の原点。トーキーに移ってからも活躍している監督。C:散っていった才能。トーキー以降よりも圧倒的に知名度が高い、根っからのサイレント監督の作品。D:未見。その中でも知名度が高いものを挙げておきます。ちなみにチャップリンは別格として、あえて省きました。キートン、ロイドは一本づつ。(ちなみに作品はページに飛んで頂ければ詳細が分かると思いますので、一言コメントは簡単な監督紹介にさせて頂きました。)くたー
無表情の喜劇王 バスター・キートンチャップリン、ロイドと共に三大喜劇王に名を連ねるバスター・キートン(Buster Keaton 1895-1966)。無表情での命懸けハードアクトを確立し、20年代にその黄金時代を迎える。MGM移籍以降、トーキーの波に押され、彼の勢いは失われていく。MGM解雇の後、エデュケーショナルへと移籍するが挽回するだけの余力は既に残っていなかった。……さて、今年2005年はキートン生誕110周年という少しだけ記念すべき年です。というわけでキートンの足跡POVを作成してみました。「A:ロスコー・アーバックル共演作品」「B:独立後の初期短編」「C:独立後の初期長編」「D:不遇のMGM時代」「E:“過去の人”からの再評価」「F:出演以外の仕事」未登録作品はサブコメント欄にて(注:かなり長文になってます。自己満足です)/最終更新06年10月24日ナッシュ13
【つぐみ】の魅力贅沢な骨』という作品を手に取った動機は、間違いなく麻生久美子だった。しかし、見終わったとき、自分の頭に渦巻いていたのは、間違いなくそれまでは、顔や名前すら知らなかったつぐみという女優だった。それが出会いのきっかけ。現時点では、『贅沢な骨』が彼女の代表作といってもいいだろうし、一番気に入っている作品だ。あまり知られていないかもしれないし、作品にもそんなに出ているわけではないが、彼女の大きくて力のこもった瞳に魅せられた。これからも応援したい。 A:主演作品 B:準主演作品 C:出演作品 D:ほんのちょい出演作品(T_T)E:未見作品  ことは
CQNPOV vol.2李鳳宇氏が代表を務める映画配給会社シネカノン、その全配給作品を年代ごとに2つのPOVに纏めてみました。今年は『殺人の追憶』『誰も知らない』の特大ヒットに恵まれ、秋11月には渋谷にシネ・アミューズ系列館「CQN」もオープンも予定されていて、絶好調という感じです。系列館では男女関係無く水割(¥1000)を受けられるというのも魅力。町田
CQNPOV vol.1李鳳宇氏が代表を務める映画配給会社シネカノン、その全配給作品を年代ごとに2つのPOVに纏めてみました。今年は『殺人の追憶』『誰も知らない』の特大ヒットに恵まれ、秋11月には渋谷にシネ・アミューズ系列館「CQN」もオープンも予定されていて、絶好調という感じです。系列館では男女関係無く水割(¥1000)を受けられるというのも魅力。町田
君はデレカンを見たか!ディレクターズカンパニー(通称デレカン)。1982年、広告代理店出身のプロデューサー宮坂進を中心に、当時の新進若手監督たちによって結成された映画製作プロダクション。設立には、フリー助監督から監督デビューを果たし、それぞれ第一作が話題をよんだ長谷川和彦(36歳・以下全て当時)、相米慎二(34歳)、学生時代から自主制作映画作家として注目を集めていた大森一樹(30歳)、黒沢清(27歳)、石井聰亙(25歳)、同じ自主制作畑出身ながら独自にピンク映画界から一般映画への路を切り開きつつあった井筒和幸(30歳)と、若くしてピンクのベテランともいえる作品数を誇る高橋伴明(35歳)、さらに日活ロマンポルノ出身の池田敏春(31歳)と根岸吉太郎(32歳)が参加。大手映画会社の撮影所が若い作家達に門を閉ざすなか、全く新しい映画製作集団として注目を集める。以後、年に2〜3本の作品を世に送り出しながら、92年に資金難のため倒産。その10年の歴史を閉じる。ぽんしゅう
第二次大戦と映画 ヨーロッパ編A:前夜 B:パリ攻防戦 C:ファシストのヨーロッパ蹂躙 D:独ソ戦線 E:北アフリカ戦線 F:イタリア戦線 G:D−DAY:ノルマンディー上陸作戦 H:ベルリン陥落と戦後処理町田
邦題と全然関係ない韓国映画の原題原題と全然関係ない邦題がついた韓国映画の原題の直訳をご紹介。 Aはほんとに全然関係ないの。Bは全然関係ないわけじゃないけど参考までに。Cはさらにおまけとして邦題ではわからない原題の謎。SUM
映画で日本の旅をする映画の舞台(ロケ地)や印象的なキーになった場所を都道府県別に調べて分けてみました。A:北海道、東北/B:関東、信越/C:北陸、東海/D:近畿/E:中国/F:四国/G:九州/H:沖縄です。 (男は辛いよシリーズは例外にしますた)TOBBY