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[コメント] ゴジラ(1954/日)

ゴジラに関わった人々が「具体的に」不幸になっていくという情け容赦のない演出と脚本。
ジョー・チップ

電車の中で「また疎開かあ〜」とかノンキに話し合っていたカップルがその後遊覧船でノンキに踊っていたらそこにゴジラが!(なんであたしがこんな目に?という感じ)                                                        また、松坂屋のビルの下でうずくまっていた母子(松坂屋がゴジラによって炎上すると、母子の上の方から火の粉が降ってくる細かい演出)、その後母親は病院で死体となって登場、恵美子の腕の中で泣きじゃくる残された子供・・・                                              ゴジラに肉親を殺された新吉はその後山根博士の所に住み込みに(おかげで彼が登場するたびにゴジラの非道を思い出すことに)。                                                    このように、惨劇をその場限りのエピソードで終わらせず、ずっと後を引くような巧妙な演出を行っているのである。それでいて表現は冷静で、ことさら感情をあおるような演出はしない。もちろん監督の戦争体験をふまえていることは言うまでもない。しかしこれらの表現にむしろサディスティックなものを感じてしまうのである。                                                                        本多監督が戦後の日本についてどのように思っていたのかは分からない。またその後の作品ではこうした表現は影を潜めていく。だが『ガス人間第一号』『マタンゴ』などの作品を残していることを見ると今日まで続くこの戦後社会の嫌な部分についていろいろ思うことはあったんじゃないだろうか。もうひとつは戦中世代(戦争に参加してしまった世代)として、急速に戦争のことが忘れられていくことへの危機感(前述の遊覧船のシーン)。こうした思いが、怪獣映画という恰好の題材を得て、バーンと噴出してしまったのではなかろうか。                                               それは反戦というのとはちょっと違う(広義には反戦かもしれない)、戦争を踏み台にしながら戦争を忘れようとする「現代」に対する怒りなのだ。この「現代」には当然私達とそのライフスタイルそのものが含まれているだろう。                                            そこまで考えて見ると「悪役ゴジラ復活」として意気込んでいた平成ゴジラが何故失敗してしまったのか、わかる気がする。悪役かどうかが問題ではないのである。ゴジラの暴虐の矛先がどこにあるのかサッパリ分からなかったからである。ただゴジラが暴れてビルをぶち壊すから怖いのではない。私達があって当然と思っている社会、生活環境、これらが過去の都合の悪いことを見てみぬふりして出来上がっていることがゴジラの登場によって暴かれてしまうことに恐怖を感じるのである。

(評価:★5)

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