[コメント] ALWAYS 三丁目の夕日(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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西岸良平の描く原作「三丁目の夕日」。近所の床屋や医者に置いてあることが多いためか、今までそれなりの量を読んだ気がする僕なのですが、それでもやっぱりこのマンガを「好き」というにはかなりの抵抗がありました。あのねぇ、絵がキモチ悪いんですよ。まぁ懐古的人情お伽噺である原作の世界にマッチしているのはわかるんですけど、結局そのキモさからか感情を乗っけることができなかったんです。だから面白い博物館を観てるような気分で「ひと事として」読んでいた。
それが今作のオープニング、原作の持つ世界観が実写となって眼前に広がった瞬間に、急に全部飲み込めちゃったんです。今まで絵が邪魔して伝わってこなかった郷愁や懐古が、一気にリアルな感情として気持ちに響いてきたんですよ。ですから少なくとも僕にとってこの実写化は全くのストライクでした。原作者の伝えたい世界を、ようやくスムーズに受け取ることができたような気がします。
さて内容に関してなんですが、今年(2005年)で33歳になる僕にとって、今作で描かれる景色は「似たような景色が記憶にある」ギリギリの世界です。たぶんこの映画の世界が今の世界に変質していく過渡期だったんでしょう。「進む無関心」と「粘る人情」が両立していた時代でした。そしてそれはそのまま「進歩を続けていく社会」と「置いていかれる人々」の構造にも繋がっていました。僕が今作の中で評価したいのは、そんな「置いていかれる人々」もちゃんと登場させているってことなんです。
それは例えば職を失っていく氷屋(ピエール瀧)であり、戦争の痛手から前に進めていないアクマ先生(三浦友和)だったりします。特にこのアクマ先生のパートは、全編優しく懐かしいトーンの今作において短いながらも強烈な印象を残します。決してみんなが優しく暖かい中にいたわけじゃなく、進歩と調和の時代を迎えるにあたっても尚、進歩にも向かえず調和にも入れない人たちだっていた。そんな現実がチラリとでも見えることで、今作の中の「現実」の度合いがグッと上がっているような気がしました。
そんなわけで、今作が僕らの中で「現実」となり得るとするなら、劇中の彼らが向かう未来には確実に我々が存在することになります。鈴木オートが未来の夢を語る時それは如実に現れるのですが、彼らが頑張って頑張って目指した先に僕らはいるんです。50年前と言えばもはやある種の「時代劇」とも呼べる時間差ですが、劇中の彼らが未来を見据え、それを観る観客がそこを懐かしんでいる以上、そこには明確なリンクが存在するわけです。彼ら=僕らは50年かけて未来を創ってきた。そしてその中で失われた物を懐かしむことができる気持ちはまだ残っている。だとしたらそれは「失われた」んじゃない。そんなことを考えた時、「昔は良かった」的なこの映画で、むしろ「今だってそんなに悪くないはずなんだよな」なんてことを考えさせられました。
また蛇足ではありますが、CGとミニチュアと実写を組み合わせた今作の世界観は素晴らしかった。CGを徹底してCGと判らせないように、それでいてフルパワーで使い切る手法は、何だかとても上品な気がします。また当初違和感のあった茶川先生の吉岡秀隆も、話が進むに連れてどんどんと映画独自の茶川先生を作り上げていって好感が持てました。この茶川先生には幸せになってほしい。だけどきっと現代には彼の居場所はない。その切なさがたまらないです。
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