[コメント] 飢餓海峡(1965/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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高倉健は若すぎたのだ。邦画界の中でも曲者の三國連太郎/左幸子/伴淳三郎といった役者たちが芝居を披瀝しあってる中へ直球しか勝負できない若い役者が突然割り込んで入っても、それは「場」を乱す行為にしかならなかった。
あの変化球で変幻自在の芝居を繰り広げた三人の芝居をみて、若い役者たちは育っていくのだ。ただし、健さんはその後も直球のみで勝負する珍しい大投手になったが・・
***Review***
すべては貧しかったのだ。人は皆、貧しさから這い上がる為に懸命に生きていた時代だったのだ。
伴淳三郎の刑事の家も貧しかった。ふたりの男の子が粗末な晩飯で喧嘩をし、親がいなくなるのを見計らって鍋の汁を貪り食う。凄まじいシーンじゃないか。
十年後、父親の権威が失墜したこの家庭で、伴淳三郎が失われた十年を取り戻すべく東京へ出向こうとするが金が心許ない。成長した子供たちは、父親が失職する原因となった事件に今更関わり合おうとする父親に罵声を浴びせる。失職後の母親の苦労を代弁しなければならないのだ。
父は先程、出発した。子供に罵声を浴びせられた上に金は心許ない。若くエリートである警部補の高倉健に一部始終を見られた恥ずかしさもある。この時の伴淳三郎の胸中は如何なものだったろう。映画では描かれなかった家族の十年間が胸に染み入る。
この子らも貧しさから這い上がりたかった十年を過ごしたのだろう。だが父は仕事一途の挙句に、その事件の責任を取らされて失職した。だが、母の苦労も知っているが父の無念さも知っていた。自分である程度の金が稼げるようになった兄が最後に小遣いを出す。父に金を渡すために家を飛び出て父を追う弟。
台詞もアップもない遠景でのカットだったが、弟は兄の暴言を詫び、父はすべてを許したのだろう。そんなシーンが想像出来る。
まったくなんてこった。作品の本質とは関係のない1シーンなんだろうけど、私的にやられてしまった。貧しさの中にも人を思う気持ち、優しさ、そして人としての「業」が伝わってくるシーンでした。
いや、ちょっと待て。この作品の主題はもしかしたら、それなんじゃないのか?
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