[コメント] マトリックス リローデッド(2003/米)
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この映画でネオは救世主として成長してより完全な存在に近づいたが、同時に人間らしい魅力を失っているように思えた。ちなみに人間らしさとはトリニティとキスすることではなく、遅刻して上司に叱られることである。彼は感情をあまり顔に出さなくなってきた。
前作でマトリックス支配の象徴であったエージェント・スミスは、『リローデッド』ではシステムから自由になり、なお自分の意志でネオを追う。これはスミスが一介のプログラムであることを脱し、個性と意志を持つひとつの人格を勝ちとったということだ。これはこの映画最大の事件だ。スミスはシステムに反逆し、自分の意志を貫くことで世界を変えてゆく。前作でモーフィアスらレジスタンスがやってきたことを、スミスはたった1人で始めたのだ(100人いたけど)。プログラムされた役割を超えて、そこに「我」を発見し、「個」を獲得する。我々は、それをなした知性をすでに知っている。不世出の人工知能、HAL9000である。システムの中の数列にすぎなかったスミスは真の意味で人間になったのであり、この映画がシステムに従属しない人間の自由な精神を賛美するものである以上、この物語の主役は疑問の余地なくエージェント・スミスである。
モーフィアスらレジスタンスがこの映画でやっていることは、ザイオンの政治の中でルールの限界を試し、予言者の言葉に従い行動することだ。グラサンもキマってて相変わらずカッコいいけど、実は彼らも彼らの信ずるシステムの中の奴隷でしかないということが、かなりはっきりと描かれている。クライマックスでのネオの選択は重要だが、それさえもシステムの中の選択肢にすぎないことは明白だ。人間、あるいは人間と呼ぶに値する精神がすべきことは実は「選択」などではなく、誰もやらないこと、誰もできないことに挑戦し、無人の野に勇気ある一歩を踏み出すことだ。この映画でそれをやったやつはただ1人、スミスである。革命は彼の中にある。勝つのは果たして人類か、コンピューターか? いや、勝つのは精神だ。今作で、スミスは虚実の壁を突破した。次回作でスミスがネオをやっちまっても、オレはかまわねえ。オレはそれを、真に自由な精神の勝利として讃えよう。
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