★4 | 阿修羅のごとく(2003/日) | これを黒木瞳のアイドル映画にせずにはいられないある種の魔性が逆に深キョンについてはその容貌の野趣深さを際立て、アイドルを見出すべきところに見いだせない背徳に苛みがある。 [review] | [投票(1)] |
★4 | ファントム・スレッド(2017/米) | キノコオムレツが奇人同士が互いを識るという禅問答のような困難を克服する。ヴィッキー・クリープスはすでにキレている。相対的にダニエルがわれわれの常識に近づくのだが、予断がそこに仕組まれる。 [review] | [投票(2)] |
★3 | セインツ 約束の果て(2013/米) | ケイシー・アフレックの行状を美談調で捕捉する趣向が、美談調のままケイシーを疫病神にするアクロバティックを敢行。厄病は伝染してオッサンらの自滅を招き、堂々たる女難映画になるが、ここまで来てもずっと美談調のままなのである。
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★4 | 孤狼の血(2018/日) | 昭和テーマパークという趣のなかで、役所広司の両性具有的な立場が彼を宮崎アニメに出てくるような不可侵のヒロインに仕立ててしまう。
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★4 | ちはやふる -結び-(2017/日) | 雌の気を惹こうとして精進を重ねた結果、甲斐性がつきすぎて逆の意味で雌と釣り合いが取れなくなってしまった。野村周平が頑張るだけ広瀬すずから魅力が奪われる。
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★4 | 山猫(1963/伊) | 舞踏会の各種イベントが人々を群体に落とし込むことで哀感を誕生させている。徹夜舞踏会の加虐に苛むランカスターにクラウディアの地中海性顔面をぶつける食傷の極みもかえって呼び塩となってランカスターを脱脂し、あろうことかそれを笠智衆化する。 | [投票(1)] |
★3 | ビューティフル・デイ(2017/英) | ホアキンの脱ぎっぷりのよさは露出狂というより、単身オッサンの生活感のなさがグラビア系イメージビデオのそれに接近してしまい、つまり脱いでいるのではなく脱がされているのであって、ホアキン自身戸惑っているのが実情ではないか。 | [投票] |
★4 | 女神の見えざる手(2016/仏=米) | 社会時評にしてはキャスティングが遊び過ぎるという場違いな感じから、マーク・ストロングのアイドル映画と言うべき蠱惑が生じるのだが、社会時評がサスペンスに下駄を履かせる手段だと判明してはその蠱惑が無効になる。 [review] | [投票(3)] |
★3 | 毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト(2006/米) | 助平が人類愛をもたらしたとき、意図のなくなった女の活動は時に少年のような徳性の輝きを放ちながらも、やがて熟女の淫乱と区別がつかなくなる。ニコールに下水管の詰まりをDIYさせた方が余程背徳感を覚えた。 | [投票] |
★4 | カメラを止めるな!(2017/日) | 演出家が演技をすることで本音を出せて役者に報復しえたように、事象のトレスで人格の本質が顕れ、かえって自由になれてしまう。反復であり答え合わせである記述という営みが何ゆえ美的経験をもたらすのか。 [review] | [投票(5)] |
★3 | ショートバス(2006/米) | 開明でありたいと願う強迫観念が自己憐憫に至りがちで、事をミュージック・ビデオのような他人事の喧騒にしかねない。ただクローゼットの件では、かかる憐憫が異質の二人から共通の属性を見出し、男から負い目を引き出す手管を見せている。 | [投票] |
★4 | ヘアスプレー(2007/米) | 才能が人の美醜を超える好ましさと社会時評が相容れない。能力志向と差別是正の矛盾までは追及されず、ただミシェル・ファイファーの根性と恥辱が美的達成において突出してくる。 | [投票(1)] |
★3 | 天命の城(2017/韓国) | 人類の厚生から遊離した中小企業の内紛と道徳的コミットメントを統合する努力は放棄され、共和主義への転向が短絡的に行われる。あの内紛は何だったのかという徒労のみが残り、宿命に耐えられない君主という寓意を満たすための内的一貫性が得られない。 | [投票] |
★3 | ダイナマイトどんどん(1978/日) | 戦略兵器たる北大路欣也の自罰感情にすべてが左右される清算的な状況こそ、この社会時評が糾弾する態度そのものではなかったか、という悪しき再帰性の局面が、田中邦衛の軟体動物のような投球フォームに官能的な撓りを与える。 | [投票(4)] |
★3 | ソルジャー・ブルー(1970/米) | 貸し借りの営みの中で男女それぞれの甲斐性が自然に醸成され、騎馬隊の挙動にはリアリズムで事象を裏付けたい欲求が窺える。 [review] | [投票] |
★3 | マシニスト(2004/スペイン) | 自罰感情を仮託された不眠という生理上の不快が逆流して、事を探求する意欲を妨げている。不眠だから不可解に遭遇するのは当たり前で、なぜ今さらおかしがる必要があるのかわからないまま、クリスチャン・ベールはハーレム作りに勤しむ。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 真夜中の虹(1988/フィンランド) | 悲観しない人間の有り様の探求が彼らに課すのは、合理性に則った、ただ一つの解答であり、ベルトコンベアに運ばれるようなイベントの逐次的発現が叙述するのは、宿命に準拠することの、不安なまでな晴れ晴れしさである。 | [投票] |
★3 | ハムレット・ゴーズ・ビジネス(1987/フィンランド) | ピルッカ=ペッカ・ペテリウスの胎児状の容貌がオウティネンの母性と反響するのはよいとしても、強運の限度に挑戦する属性の浪費が子宮に内包されるような手ごたえのなさとなってしまい、水子供養のような遣り切れなさが残る。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995/日) | カットを細かく割っていられない現場の焦燥が期せずしてホラー映画の画面を構成する。冒頭の美作滝尾の駅舎の窓口に顔を出す寅。奄美で満男と遭遇するそれ。どちらもワンカットで彼は現れギョッとさせる。もはや亡霊であり、それが廃墟を彷徨うのである。 [review] | [投票(3)] |
★3 | 夜よ、こんにちは(2003/伊) | 夏休みの合宿が終わらないような、延滞した非日常が醸すフワフワがある。一方で老人のダンディズムに感化を見出したい自惚れた空想と、それを罰したい自己規制がある。 [review] | [投票(1)] |