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[コメント] ハッシュ!(2001/日)

冒頭、彼らは蕎麦屋で出会う前にすでに出会っていた。登場人物たちがすれ違う瞬間の緊張感にどきどきした、ああこれから出会うんだなあ、と。映画が終わるとき、冒頭のシーンを思い出す、ああ彼らはあのときに出会っていたんだなあ、と。いい映画は大抵、冒頭を思い出させる。(レビューは後半部分の展開に言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なるべく人に寄りかからないようにして一人で生きてきたオトナたち。三十路を越してふと思う、いつまでもこのような感じで生きてはいけないのではないか、言い知れようのない不安。それはメインの三人だけが感じる悩みなのではなく、おそらく多くのオトナが感じてきた悩みでもある。その悩みに対する一つの答えが、愛する者とともに家庭、家族を築くこと。ただそれは自由気ままに生きてきた自分に対する制約を課すことになる、その制約は内から生じることもあれば外部から課されることもある(それが社会規範なるものかと思う)。自分の衝動と制約に挟まれることで生じる葛藤は多くの映画、文学作品で語られてきたことであり、本作では三人はできるだけ制約を少なくしたうえで家庭のようなものを築こうと試みる。

秋野暢子の存在が興味深かった。彼女は三人(とりわけ同姓である片岡礼子)の前に立ちはだかる存在、三人に厳しい制約(社会規範)を提示する存在として現われる。しかし、彼女は壁のごとく始めからそのような立場にあったわけではない。彼女自身、お見合い結婚で旧家に入り、規範なるものに自分の衝動をときに抑えこまれ、ときに自分から衝動を抑えこんで生きてきた。彼女の三人に対する苛立ちは、自分がかつて(今も?)そうした葛藤にぶつかってきたからこそのもので、そうした背景から出てくる発言であるということが観ている側にも提示されている。それは老婆心にも近いもので、彼女は規範を諭す「最新の」上の世代の代表である。女手一つで子を育ててきた冨士眞奈美のあの異常とも思えるお節介の根源にあるものも同様であり、さらに言うなら「二丁目」の人たちが説くゲイの恋についての「倫理」も実は同様なのではないか。

三人の中でも、やはり田辺誠一の話がメインだったと思う。彼は世の中と衝突しないように「慎重に」生きてきた。それは自分のある部分を見せないこと(結局「隠す」ということとほぼ同義だと思うが)、それはどこかである種の後ろめたさに近いものに繋がっていく、「青いペンキ」はその象徴だったのではないか。(この挿話が本作に対する高評価にかなりの役割を果たしている。「赤い血」とは対称的な冷たい異物。想像力を広げてくれる。)身勝手な愛情を押しつけてくるつぐみを無下に追い返せないのも、人知れず大切にしてきた大事なものの重みを、誰よりもよくわかっているからなのだろう。

後半部分、家が崩壊したとき、彼は拭いしれようのない虚脱感に襲われる。彼に慎重な生き方を選択させた(強いた)「家」は、彼の人生において一貫して立ちはだかってきた存在であった。立ちはだかる規範が消滅することによって、彼は家族のしがらみから脱出することができるはず。しかし彼はうずくまり嗚咽する。「家」が規範を押しつける存在であったのとともに、その規範を彼に強いていたのは他でもない彼自身でもあった。「家」は彼にとって守るべきかけがえのない存在、それを失った彼、小さな井戸から大きな河の流れの前に投げ出された彼が泣き出してしまうのは、ともすると自己憐憫なのかもしれないが、かなり胸にぐっとくるものがあった。

ラストはその前の展開からして、田辺誠一つぐみの愛情を断わることができずに結婚し、片岡礼子は年下の沢木哲に心を許し、高橋和也はまた「二丁目」に回帰し、結果的に離散していくのかと思った。実際はそうならなかったが、いつでもそうなっていく可能性は秘めているのだろう。社会が強いる規範に逆らわない形、規範と折り合いのつく形に収束していく可能性、そうした可能性がちらつくなかで、三人は鍋をかこみ子作りの話をする。「未来」を見据えた話でありながら、実際彼らの描く「未来」はそう確固としたものではなく危ういものである。ある意味「現在」に留まろうとする彼らには、その明るさとは裏腹に(あの軽妙な曲とも裏腹に)緊張感がみなぎっているような感じがした。

ぐだぐだと書き連ねてしまったが、何よりも若者たちの言い知れようのない不安や焦燥感をみずみずしく描いてきた橋口亮輔が数年の時を経て、若者からそうではない何かへの転機を描いてくれたのが、私自身の心境の変化ともあいまって、そして(おこがましいが)まるでともに歩んでくれたかのようで、すごく嬉しかった。この作品が自分の生きている時代に作られたことに感謝したい。こういうふうに5点をつけるのが理想だった。

高橋和也の入れ墨は元から?それとも演出?いずれにせよ、彼の役どころは昔は「荒ぶる人」であったという設定なのだろうなと想像する。

(評価:★5)

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