「チャップリン」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
真珠の耳飾りの少女(2003/英=ルクセンブルク) |
静かに燃え上がる情念の炎。モデルの心を見通した画家が描く絵はどんな裸婦像よりもエロティックだ。[シネ・リーブル池袋2/SRD] (Yasu) | [投票] | |
画家とモデルの少女というと過剰な期待を抱いてしまうが・・・ [review] (RED DANCER) | [投票] | |
絵筆や絵の具、キャンバスやイーゼル、絵付けしたやきもの。椅子やテーブル。装飾を施した窓、ガラス。暗箱。洗濯用の石鹸、生成りのシーツ。メードたちのかぶっている頭巾や仕事着。彼女らのあれた手、で、磨き上げられる金属の食器。カメラ・オブスキュラ。 [review] (kazby) | [投票(1)] | |
一枚の絵画の裏にある制作秘話が、同時に一つの鑑賞の視点を与えてくれる。これは映画が実現した、絵画鑑賞の優秀なガイダンスだ。 [review] (G31) | [投票(2)] | |
旦那様は色白がお好き。 [review] (らーふる当番) | [投票] | |
「映画」と「絵画」の異同についての考察の映画。エドゥアルド・セラが操る光と構図の絵画性。カメラ・オブスキュラのくだりは史実に沿った描写というよりも映画の起源についての言及だ。コリン・ファース主観としてのスカーレット・ヨハンソンのクロースアップも「アップであること」の確固たる意味を持つ。 (3819695) | [投票(1)] | |
この映画は監督のものでも、脚本家のものでもない、完全にスカーレット・ヨハンソンのものだ。そして彼女を描き切った本当のフェルメール、勿論コリン・ファースなどではない、美術監督のベン・ヴァン・オスと、撮影監督のエドゥアルド・セラに最大限の賛辞を贈りたい。 [review] (町田) | [投票(5)] | |
いったい何を撮りたかったのだろうか。エドゥアルド・セラのキャメラと、ベン・ヴァン・オスの美術と、スカーレット・ヨハンソンの存在感に圧倒され、押しつぶされてしまったように中味が欠落している。見た目の美しさ以外に感動のない空っぽの映画。 (ぽんしゅう) | [投票] | |
“青いターバンの女”として認識が強かったんで「耳飾?首飾りじゃないの?」と思ってしまった。 [review] (TO−Y) | [投票(2)] | |
敢えて言う。この映画は飽く迄も「表面」に留まり、また、誰もが期待するようなメロドラマとしても不完全燃焼で、「まるで絵画のような美しさ」の映像の域を出ていない点にこそ、その芸術性の粋が輝いている。 [review] (煽尼采) | [投票(3)] |