[コメント] アザーズ(2001/米=仏=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
上にネタバレ自己申告をしてますが、この映画をこれからご覧になる方はこのレビューを絶対に読まないことをお勧めします。読んでしまって映画を見る楽しみを減らしても構わないなら別ですが・・・。
追記・・・ネタバレ投票をいくつかいただきましたので、この映画と比較されるであろう"ある映画"のネタバレを考慮して、その"ある映画"の実名は伏せることにします。皆様のご想像に任せることにします。
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まず、全体的に見て、この映画は雰囲気が良い。決して斬新さはないのだが、アメナバールの演出力や才能が光る。この映画はヒッチコック、スピルバーグ、キューブリックに影響を受けたようだが、彼らに勝るとも劣らぬ力腕だ。巨匠にオマージュを捧げているのも良くわかる。主人公の名前がグレースだったり、アメナバール本人が映画に登場するあたりはヒッチコック的だし、カメラワークなどを見ると自分は『シャイニング』に通じるように思えた。見えない存在を感覚で感じるように描写し、じわじわと恐怖を伝えるホラーの演出は巧い。また、最後に映画自体を一気に盛り上げる畳み掛けるような展開運びも見事。音楽も自分で手がけ、『オープン・ユア・アイズ』でもこの映画でもそうだが、自分の世界観を完全に確立させている。若干29歳でこの実力を見ると、この先が非常に楽しみである。
そして、主人公グレースを演じたニコール・キッドマンの演技もすごい。後から考えると、子供を愛するが故に厳しくヒステリックな母親という役柄とその演技自体が内容に密に直結しているだけに、不自然さを感じさせない完璧な演技が要求されたが、しっかりそれに答えていると思う。彼女が表現する恐怖がそのまま観客の恐怖へと繋がるわけだし、彼女なしにはこの映画はあり得なかっただろう。監督も言っていたが、その目が良かった。恐怖を感じさせる演出と共に、恐怖が彼女の目から表現されて伝わってくる。自分は『ムーラン・ルージュ』(これでもコミカルさに美しさに良かったが)よりもこの映画の方が役柄の難しさなどから考えるとレベルが高いと思う。
そしてラストシーンについて。この映画の場合、ラストシーンが映画の全てを反映した物となっている。ラストシーンを考察することで映画自体の様々な要素が見えてくると思う。 自分はこの映画のラストはひとつの真実を明かして衝撃を与えるのではなく、3段階に分けて違った意味での衝撃を与えているのに驚いた。
まず、弟1段階。3人の使用人たちが死人だと判明する。これは映画を良く見ていれば予想は付かないこともない。使用人たちは伏線となる発言・行動を繰り返している。死体のアルバムと墓場という決め手となる二つの存在について関連するシーンは少なくない。ミセス・ミルズはグレースに死体のアルバムについてしっかり説明をするし、タトルが庭で墓らしきものを落葉で埋めて隠すシーンすらある。3人の使用人たちだけの会話は明らかに怪しさを臭わしている。もし、この1段階のオチだけで終わっていたら、普通のどんでん返しでお仕舞いだ。
弟2段階。今度はグレースもアンもニコラスも実はすでに死んでいたと明らかにする。グレースとチャールズの会話で出てきた"あの日"についての意味がここでわかる。ただ、主人公が実は死んでいましたというオチは決して新しい物ではない。これと類似する"ある映画"などを見ている人なら免疫が出来て、前にあったなぁと感じると思う。だが、そこからが本当にすごいのだ。
弟2段階直後の弟3段階。自分はこれには完全に参った。今まで見えない存在として描かれてきたのが、生きている人間だったのだ。ピアノを弾いたり、扉を開けたり閉めたりしていたのは紛れもない生きた人間だったのだ。今まで見てきたのは死者から見た世界であり、我々の世界とは全く逆さまの世界と知った時、様々な考えが過ぎり、この映画の深さを痛感させられた。
我々生存する人間が幽霊などの見えない存在を感じるのと同じく、死者の世界が存在したとするならば彼らにも見えない存在があるのかもしれない。普通、霊が登場する場合、生存者側からは霊は見えない存在で、霊からはしっかり見えていると思われがちだ。日本でも、死んだご先祖様が見ているという発想など、霊は全て見えているというのが根本からだと思う。『ゴースト』にしろ例の"ある映画"にしろ多種ある和製のホラー映画にしろ、一部の特別な生存者以外は霊と化した死者を見ることは出来ないが、死者ははっきり全てを見ることが出来る。
そういった先入観を完全に覆された。生存する人間で死者側から見た視点について知っている人間は絶対いないわけだし、死者の見えない世界という着眼点は、それが正しいか正しくないかの問題は別として、非常に面白いと思う。こういったことから考えると、生と死についての解釈は非常に難しい。カーテンや扉の鍵が生と死の境界の象徴的存在だが(サスペンス映画としての役割としてみると、これらはダミーの要素として役に立っている)、生と死の境は一体なんなのだろう?とも考えてしまう。ミセス・ミルズがアンに「遅かれ早かれ変化に気づく」と言ったが、その境は変化の一部なのかもしれない。考えて解決出来る問題でないからこそ難しい。序盤、アンとニコラスが勉強するシーンで宗教から見た生と死について語る部分など、生と死に関する言及が少なからずある様に、この映画はとても深く難しいテーマを扱っていると思う。
そしてそこに家族の問題も絡んでくる。子供を殺してしまい、自殺を図るグレース。気づくとそこには元気な姿の子供ふたり。愛する子供を厳しく育てたことへの反省など、考えるととても複雑だ。グレースがアンにベッドで許しを得ようとするシーンなどから、母の愛があるのは間違いない。そして死んだ今も愛があるだけに、殺したという事実が非常に重くのしかかる。リディアが死を知ったショックから口を利かなくなったと明かされたが、グレースの受けたショックは自分が死んでいたと同時に、愛する子供を殺していたと知ったのだからショックはかなり大きいと思う。ラスト、「ここは私達の家」と唱えたり、家族3人で去っていく車を窓から見つめるのを見ると、複雑な感情が高まった。
見た人を対象に文章を書いたり、見た人同士で話したら議論になって話が尽きなそうな映画だ。これだけダラダラ書いてしまったが読んでくれた方、どうもありがとうございます。
最後にひとつ。この映画は上にも多数登場した"ある映画"を思わせる部分がありますが、アメナバールはその"ある映画"の影響にについて尋ねられた際こう答えています。「"ある映画"のスペイン公開は2000年。『アザーズ』の脚本は'97年に書いている。幽霊や霊魂を扱った映画なので、多かれ少なかれ似た要素があるのは当然。ただ、別のことを語っているし、見せ方も全く違う」。自分は、例の"ある映画"とは、確かに類似する部分はあるとは思うが、着眼点自体が異なるように思います。似ているからということ以上にこの映画には深みがある。ホラー、サスペンスとして(それ以上にだが)、全体的に見てその"ある映画"よりも『アザーズ』の方がやはり一枚上手だと思う。
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