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[コメント] キル・ビル Vol.2(2004/米)

この映画を語るとき、なぜか言及されないロバート・リチャードソン(『JFK』でアカデミー撮影賞)の仕事ぶり。監督の無茶な要求をすべてクリアした上で上質の映像を提供した。その苦労を思うと泣けてきます。
ジョー・チップ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







全ショットに責任を持つロバートソンは、タランティーノがこの映画を作る上で参考にした映画のビデオを全て見なければならなかったそうだ(もちろん『サンダ対ガイラ』も『吸血鬼ゴケミドロ』も)。その上でジャンボジェットの背景の異様な色の空、青葉屋での移動撮影、雪の日本庭園などの見事なシーンを撮った。キルビルVo.1は映像の趣向が次々と変わる映画だが、決していい加減に撮ってるわけではなく、構図、色彩など極めて厳密に設定されていると見た。

今回も、冒頭のハイキーの白黒のシーンが実にいい。ここで初めてビルが姿を現す。硬質な映像がただならぬ緊張感を生む。

また、バドの住処、その夜景もいい。何もない荒野のはずだが、遠くの山に薄っすらと照明が当たっていて(不自然なはずだが)遠近感が生じ、深みが出た。同時にバドの孤独感も浮き上がった。

焚き火を挟んでブライドとビルが佇んでいるシーンの柔らかな色彩。ここでは二人の蜜月時代を表現。

打って変ってパイ・メイ師による特訓のシーンでは、昔の香港映画の粒子の粗い画質を再現。ついでにいい加減なズームで一瞬ピンぼけになるところまで再現(笑)。

終盤の対決では何の特徴もない高級のホテルの部屋、ここでは部屋のフラットな照明によってビルという人間そのものに焦点を当てている。うがった見方をすれば、大きく開かれた外庭の暗さとの比較が主題か?

タランティーノの演出という点では、正直言って、この監督がこれほどの演出をする人とは思わなかった。そのことはVol.1.2、ともに変わらない。難しい解説はできないが、簡単に言うと、次にどんなショットが来るのか・・・常にこっちの想像を上回るものを出してくる。それはやたら残酷なシーンが出てくるからとかそういうこととは関係がない。荒唐無稽なシーンが出てもそれが後を引かず、まるでなかったことのように次に進んでいく。それでいて全体の主題にはブレがないのだ。これはつまり知的な演出、ということではあるまいか。

今回では、自分の子供と生きて再会するという情報を得ていたのだが、そのシーンで私にとっては意外な、しかし素晴らしいショットがあった。ブライド(ベアトリス)が怒りを胸に部屋に乗り込むと、娘がおもちゃの銃を構えていて、ビルが死んだマネをして寝っころがっていた。この構図がまたシネスコの画面にうまいこと収まっていてなんとも素晴らしく、感動してしまった。 そして娘に撃たれると自分も死んだマネ・・・。こういうシーンを見て思うのは、平然とバカをやれる監督は人を感動させることにもやはり有利だ、ということだ。(比較するのもナンだが)ロバート・ゼメキスにはもはやできない。

ところで結局、この殺戮、この結末の意味は何だったのだろう。かつて蓮實重彦氏は クリント・イーストウッド監督の『ガントレット』の銃撃について、あれは「祝砲」だ、と説明していた。その顰に習えば、ビルのベアトリスに対する仕打ちは、銃しか信じないビルのあまりにも屈折した愛の告白、これまでの殺戮はベアトリスを歓待する死のダンスだったといえるだろう。愛する女に心臓を射抜かれたビルは自ら部屋を後にすると、律儀に5歩あるいて幸福の内に絶命した・・・エンディングにバッタリ倒れたビルの図にデビッド・キャラダインのクレジットがかぶさる。ここでもまた泣けてきた。

(評価:★4)

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