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[コメント] HERO(2002/中国=香港)

アクション過多で物語が圧殺されてしまった映画はさんざん観てきたが、これは物語によりアクションが圧殺されてしまった希有な討ち死に作。チャン・イーモウがド本気で犯してしまった過ちを今後の糧としよう。(毎度の長文御免)
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







意欲作であることは間違いない。アクション映画ながら、多角度の視点を描くことにより、「暗殺者」と「為政者」を突き詰めたイーモウの手腕と熱意を冷静に見つめれば、物語そのものが駄目という見方は早計に過ぎる。「乱世を抑止するためにラディカルな統治者が必要である時期もある」という治世のジレンマを謳った結論もありきたりながら、人物描写でかっちり支えられていた。それに沿った役所として始皇帝(秦の大王)が適切だったかどうかはさておき、或いは王の俳優がいまひとつ迫力にかけていたこともさておき。また、どのシーンも確固たるアイデアに裏打ちされていて、特撮過多である言い訳は全て成り立つのかも知れない。しかし、残念ながら、アクション映画としては、どうしてもノリきれなかった。

そもそも、観客の多くは、ストーリーには(『英雄』という直球の題名からも)神話の勇壮なる直線的炎上を、リーには(「無名」という名前からも)ベールに包まれた豪傑の立ち位置(たとえば、カイザー・ソゼのような…)を期待して見に行ったのではなかろうか。しかし、結果的には、『羅生門』な展開とリーにナレーションを課す構造が活劇のテンポとリーの鼓動を蔑ろにし、映画はついにカタルシスを産み得なかった。文芸映画の監督が犯しそうな、いかにも頭でっかちなミスだったと思う。

なお、この映画の絵が美しいという意見にも、些か異を唱えさせていただきたい。リーイエンの殺陣一つ取って見ても、ネオのカンフーごっこを瞬殺する本場物の切れは一目瞭然だった。だが、スクリーンにそれが好ましく納められていたとは言い難い。また、雄大なロケーション、荘厳なセット、どれをとってもその色彩は鮮やかだが、どういうわけかまったく奥行きが感じられなかった。

まず、銀杏や水滴或いは背景となる景色のCG加工による色づけ、「綺麗」だがさっぱり「リアル」でない。衣装もしかり、北野武の『Dolls』と同じく、たとえ実写であろうと「生活」から切り離され機能美を失った本物はCGと大差なく「リアル」でない。何故、こんなものが必要だったのかさっぱりわからない。中国、悠久の天地の美しさ、勇壮さ、色鮮やかさ、そしてそこで培われた文化は、それだけで至上の美であり、それをデジタル加工するのは、生で食うのが一番うまいものをわざわざ煮て食うようなもだ。素材が良いから煮て食ったってうまいことはうまいが、所詮煮ないで食うに及ぶはずがないと感じる。

もちろん、赤、青、白、緑、そして黒をより明確に打ち出すためにそれを施すという確固たる意図があったことは認めるし、評価もする。だが、黒澤明なら赤は夕暮れどきに、青は快晴の下に、白は曇り空のもと、緑は朝の空気の中に、ただ自然を活け作りにすることによってのみ成り立たせたのではないかと思うと、この映画の「綺麗さ」を至高の美と呼ぶことなどできようはずがない。

まったく同じことが殺陣にも言える。リーの見せ方に関して言えば、ツイ・ハークの映画で一度でも観ていれば、不完全燃焼を感じずにはいられないところのものだったと思う。最も重要である拳と剣の交差がワイヤーアクションによる鈍重な飛翔に収束させられてしまう度に落胆させられた。ハークならこんな安直な吊りは見せないと思う。たとえば、『マトリックス』や『グリーンディスティー』のような映画は、吊りがメインになってもかまわないのだ。何故か?キャストの顔を眺めれば一目瞭然、ユンファヨーツィイー、アクションはリーに及ばずとも俳優として華がある故に、彼らは吊られればこの上もなく飛翔を「演じ」られる。同じことがマギー、そしてレオンにも言える。裏腹に、ジャッキーリーには最初から見えない翼が生えている、逆に言えば過度なワイヤーは足枷にしかならない。よく見て欲しい。足枷をはめられたままのリーは飛びきれず、マギーレオンの引き立て役になってしまっていた。

そうはっきり言って、おいしいとところは全てマギーレオンに持って行かれてしまっていた。感情の抑揚が見受けられた箇所は、ほとんどが妖艶な飛雪と朴訥な残剣のぶつかり合いだった。悲恋が加味された壮大なロマンスも好ましく、ツィイーを絡めることにより奥行きを産む演出のセンスもさすが。だが、この三人だけで物語を突き詰めた方が良かったんじゃないかと思えたのは残念だし、リーが本質的に絡めないでいたのが歯がゆかった。

リーが埋もれた理由は、「無名」の主体性、つまり「無名」自身の怒りが「残剣」の悟りに拮抗していなかったという作劇上の問題からだが、リーが「無名」の怒りを表現しきれなかった原因はやはり殺陣にある。一言で言って功夫における「怒り」とはスピード、というより「加速」なのだ。その観点からは、優雅は悠長でしかない。優雅でしかあれない殺陣の設定、全て「組み手」であり「演舞」でしかない、「加速」が許されない、つまりリーにとっての純然たる敵が一人も出てこない、「無名」自身が自らのために敵を倒しにかかるという本物の戦闘がただの一度も用意されない設定にしてしまった時点で、燃えることが許されない、去勢されたアクション映画にしかなりえなかったのである。

(評価:★3)

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