[コメント] 下妻物語(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
僕は高校時代、何てことのない「普通の」男の子でした。クラスの中心でもなく、かといって浮いてるわけでもなく、運動が得意なわけでも勉強ができるわけでもない。オタクでもなければヤンキーでもなく、人生に影響がない程度の悪いことをちょっとやっては悦に入ってる。言うなれば「男子高校生度偏差値50」って感じの、まさに「人畜無害」な男の子でした。
そんな僕がたまたま選択授業で後ろの席になったのが、学校一番のヤンキー、Oでした。僕のクラスからは2人だけが参加している授業だったせいもあり、僕らは急に親しくなっていきました。Oはヤンキーでありながら大変な読書家で、歴史や政治経済からケンカの勝ち方に至るまで、たくさんのことを教えてくれました。僕はいつも彼の博識に驚かされ、それ以上に彼の完成された価値観、徹底した責任感、格好つけないことの格好良さに眩しさを感じていました。
Oは周りのヤンキー仲間から「お前最近変なのとつるんでるなぁ」と言われていたようです。そして僕は僕で「中村、最近Oと仲いいよねぇ」などと言われていました。僕はまるで自分がOになったような気分で、嬉しくて嬉しくて鼻高々でした。だからもっとOみたいになりたくて、懸命に本を読みました。物事を深く考えるように努力しました。
Oは今、海外でその力を発揮しています。僕には今でもまだ彼が眩しく見えています。でも、今の僕が僕であるのは、ひたすらに彼との出会いがあったからだと感謝しています。この映画を観て真っ先に思い出したのはOのことでした。単純すぎるかも知れませんが、イチゴが彼にカブったんだと思います。
誰にでも「人生を一歩先へ進めてくれる出会い」というものがあります。自分より一歩、もしかしたら半歩先にいる友人が、手を取って引っ張ってくれることがあります。それはロリータでもヤンキーでもない僕にとっても同じだったんです。映画では目に留まりやすい趣味の子たちをモチーフとして取り上げてはいますが、結局誰もが同じように自分の価値観を作り、衝突し、溶け合い、また先に進んできたんです。それはみんなが同じように通ってきた道であり、同時に自分だけが通ってきた道でもあるんです。
その道を映画の中でもう一度通ることができたのが嬉しくて、そして高校の時の鼻高々な気持ちまでが心に甦ってきたのが嬉しくて、本当に気分よく映画館を出ることができました。監督に感謝。
あと、自分が本当に心から「ヤンキー女性好き」であることを再確認させてくれた土屋アンナにも感謝いたします。台なし。
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