[コメント] インソムニア(2002/米)
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革新的と呼べる部分は何もない。大スターの競演以外に大した話題性も無く賞レースにも縁がないタイプの極々一般的ハリウッド映画である。しかし、ギミックとトラップで名を売った気鋭の監督が、その次作にこんな題材を選び、手堅くまとめ上げたことに、小さな喝采を送りたい。何故なら、この映画は、ギミックもトラップも用いていない代わりに、人の心理が抱いてしまうギミックと人生が落ち込むトラップを実に丁寧に描いている。
確かに、一見どこにでもありそうな話に見えるが、こんな風に考えてみるとどうだろう?
主人公ドーマー(パチーノ)は、証拠の捏造を図り、犯人を豚箱にぶち込んだ。たった一回こっきりであるが、自分が信じる正義のために法を犯した。その古傷を内務監査からつつかれそうになるや、彼自身は、法を犯したことに対する警察官としての罪悪感と、正義を遂行したことに対する自己弁護の間で、分裂する。その分裂は、後に、相棒を誤殺した事実により、いよいよ問い詰められ、背反する。そして、そこに、二人の人物が現れる。一人は、自分を尊敬し、またかつての自分の様に清き理想に燃える若き地元婦警エリー(ヒラリー・スワンク)。もう一人は、自分を知り、また今の自分と同じく自己弁護、いや自己の正当化に邁進する殺人犯フィンチ(ロビン・ウィリアムズ)。そう、この二人、ドーマーの中で分裂し背反する正と負、二つの感情を各々体現するドーマーの分身として観ることが出来るのだ。
パチーノ扮するドーマーの役所が難しいのは、言うに及ばない。社会との関係にあって個人が抱いてしまうギミック、胸に秘めた真実、真実を歪めるであろう事実、事実を隠し通すために並べ立てねばならない虚実、虚実によりますます明かせなくなる真実、そのために陥るトラップ、人生に付きまとう普遍的な問題と言えよう。そんな普遍的な問題を普遍的なままに体現するには、どうしたって饒舌な演技を要する。パチーノで正解。また、彼が代わる代わるやってくる二人の己が分身と向き合わねばならない苦悩を、一向に巡ってこない夜に象徴させたのには素直に感心。
しかし、そのドーマー以上に秀逸だったのが、ロビン・ウィリアムズ扮する犯人像。信者を得た三流作家が、その彼女にキスしたところ、嘲笑されてしまった。頭でっかちだが、性的経験は薄弱、そんな自分の最も認めたくない弱点を、劣等であったはずのしかも若輩者から見透かされ、いたたまれなくなり、きれた。暴力に転化される種の人の弱さ、実にリアルな動機。生活感の無いサイコ野郎ではなく、人生を守ろうと利己的になる惨めで柔な普通の人間像であればこそ、ロビン・ウィリアムズが必要だった。
この二人のキャラクター造りだけでも、十分及第点。では、結末はどうか?
自らを正当化するために完璧な理論武装を施す犯人に迎合しかけたドーマーであったが、言葉では色分けできない自分と犯人の差を最後の最後で取り戻し、悔い改めるラストで、命と名誉を捨てる代わりに、警察官として最も大切なことを、これから羽ばたいていくエリーに残していく。
物語は、犯人がステレオタイプな暴走を始め、ありきたりなドンパチに収束してしまったが、結論には骨があったように思う。
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