3819695さんのコメント: 点数順
ぼくの伯父さん(1958/仏=伊) | この作品自体とんでもない傑作なのだが、現在の視点からするとこれも『プレイタイム』への橋渡し的作品でしかないという見方もできるのだから、ジャック・タチはつくづく怖ろしい映画作家だ。 [review] | [投票] | |
東京暮色(1957/日) | 小津のフィルモグラフィでは最も「愛すべき」という語による形容が相応しくない作品にも思えるが、「小津による真冬」が描かれているというだけで、しかし私はこの映画を愛さざるをえない。 [review] | [投票] | |
十三人の刺客(2010/日) | 『十三人の刺客』を名乗るこの映画に限ったことではないが、「数字」は残酷である。「十三人」とはむろん役所広司演じる島田新左衛門や松方弘樹演じる倉永左平太らを指すのだが、彼らに固有の「他の誰でもないその人」という具体的唯一性を数字は剥奪する。題名が既に「使い捨ての命」を指示/支持している。 [review] | [投票(16)] | |
ソーシャル・ネットワーク(2010/米) | 世界は夜と曇天に覆われ、照明は主演者の眼窩に影を落として人格を示唆する。マシンガン・トークも『赤ちゃん教育』〜エディ・マーフィの伝統的文脈から距離を置いて「笑い」を求めず、「成功」はたかだかサイトのアクセス/登録者数・会社の評価額・株式の保有率といった「数字」でしか表わされない。 [review] | [投票(14)] | |
ボルベール 帰郷(2006/スペイン) | とても贅沢な映画。 [review] | [投票(14)] | |
そこのみにて光輝く(2013/日) | 縦んば菅田将暉がおらなんだら如何ほど味気ない映画に成り果てていたかしらと、想像するだに怖ろしい。(演出意図の範疇とは云え)綾野剛のカラッポ男ぶりとは対照的に身の詰まったキャラクタリゼーションだ。近藤龍人は日本列島の光線とますます親密な関係を築き、北海道の暑気を首尾よく捉まえている。 [review] | [投票(13)] | |
苦役列車(2012/日) | 純然たる職業演出家としての達成が窺える、山下敦弘の最もプロフェッショナルな映画。おそらくそれは向井康介や近藤龍人、あるいは山本浩司や山本剛史といった名をクレジットに見出せないこととも無縁ではないだろう。撮影の充実度は同じく池内義浩がカメラを担当した『リンダ リンダ リンダ』に並ぶ。 [review] | [投票(13)] | |
ミッション:8ミニッツ(2011/米) | ややもすると物語の素材そのものは『月に囚われた男』以上に安手でありふれているかもしれない。だがダンカン・ジョーンズはかつてない感情の創造を目指す作家のようだ。中盤を退屈に捧げることと引き換えに辿り着いた最後の「転送」シーン以降、形容困難の感動が怒濤のごとく間断なしに押し寄せてくる。 [review] | [投票(12)] | |
エクスペンダブルズ(2010/米) | シルヴェスター・スタローンの筋肉番付。と思いきや『ウエスタン』も顔負けの顔アップ映画。戦争演出家スタローンにあって特筆すべきは銃撃戦や肉弾ファイト以上に爆破勘の鋭さであると確認する。本当に快感指数の高い爆破だ。音響もよい。こんなに切れ味が鋭利そうなナイフの音はちょっと記憶にない。 [review] | [投票(11)] | |
空気人形(2009/日) | 是枝が演出するダッチワイフのペ・ドゥナさんをリー・ピンビンが撮る――スタッフィング・キャスティングも含めた総合的な企画力で勝負するという現代日本映画のひとつの指針。アジア圏一位のカメラマンの招聘はやはり決定的であり、その仕事は圧倒的だ。このような東京の撮られ方は『珈琲時光』以来の事件だろう。 [review] | [投票(11)] | |
街の灯(1931/米) | チャップリンの残酷さが最もよく現れた作品。 [review] | [投票(11)] | |
グリーンブック(2018/米) | ヴィットリオ・ストラーロの孤独な闘いが実を結んだのか、『ヘレディタリー 継承』『ビール・ストリートの恋人たち』そして本作と、一対二のアスペクト比が近時とみに流行の兆しを見せている。フィルム撮りがほぼ絶えた今日、アス比のみを取り上げてこれをユニヴィジウムと呼んでよいのかは知らねども。 [review] | [投票(10)] | |
インターステラー(2014/米) | フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』のように、マイケル・チミノ『天国の門』のように、浪漫と無謀の総量にかけて『インターステラー』は歴史に自らの碑を打ち立てるだろう。クリストファー・ノーランはつくづくドン・キホーテだ。しかし彼のサンチョ・パンサたちはことごとく有能であった。 [review] | [投票(10)] | |
キック・アス(2010/英=米) | この映画で最も過酷なエモーションを引き受け、またそれに応えるアクションとルックスを持った人物とは、云うまでもなくクロエ・モレッツさんである。父親が大好きでたまらないという年齢(不?)相応の女の子らしさと、口汚い殺戮機械ぶりが自然に同居すること。その異常に無自覚なさまが哀しく美しい。 [review] | [投票(10)] | |
アウトレイジ(2010/日) | 二〇一〇年日本のシネスコ暴力映画その二。あるいは北野武の痛覚カタログ。暴力技術の集成に徹することでこれまで北野映画の美点とされてきたはずの「乾いた暴力から滲む叙情」さえも排除されている。究極のハードボイルド。圧倒的な演出力(断じて不足ではなく)が達した完全なるノー・エモーションの地平。 [review] | [投票(10)] | |
カールじいさんの空飛ぶ家(2009/米) | ご多分に漏れず、私もカールとエリーによる一連のオープニング・シーンに涙腺がしわくちゃになるまで泣かされた観客であるが、ここが決して「回想」ではないという点はぜひとも強調しておきたい。早足ではあっても「現在形」の語りを貫いているということ。だから私たちは老寡夫の孤独にいとも容易に同化する。 [review] | [投票(10)] | |
告発のとき(2007/米) | 社会派的なテーマ設定に目を曇らされがちだが、クリント・イーストウッド周辺から登場した演出家としてはハギスはマイケル・チミノに次ぐ才能だろう。『クラッシュ』に輪をかけて地味な映画であり、吃驚させるほどの画面こそ多く持たないものの、確かな演出力がオーソドックスな語りを支えている。 [review] | [投票(10)] | |
街のあかり(2006/フィンランド=独=仏) | 『街のあかり』はマッティ・ペロンパーを喪って以後のカウリスマキの集大成である。そして、私がカウリスマキを愛する理由について。 [review] | [投票(10)] | |
イージー・ライダー(1969/米) | あるシーンの最後のカットと次のシーンの最初のカットが痙攣的に細かく行きつ戻りつしながらシーン移行する繋ぎはいまだに目新しいかしら(模倣する意義のある機会が少ないだけかも)。その酩酊的・運命論的な編集感覚はエディターのドン・キャンバーンよりデニス・ホッパーの主導によるものと思いたい。 [review] | [投票(9)] | |
ラ・ラ・ランド(2016/米) | 渋滞の車道が映画的空間であること。その発見の功はむろんデイミアン・チャゼルにではなく、『ウイークエンド』のジャン=リュック・ゴダールに帰せられるべきだが、ともあれこのアヴァンタイトル“Another Day of Sun”が私にとってはこの映画のほとんどすべてだ。この怒濤の多幸感から逃れる術はない。 [review] | [投票(9)] |