「−アカデミー賞脚本・脚色賞ノミネート作品(70年代前半)−」(kawa)の映画ファンのコメント
けにろんのコメント |
フレンチ・コネクション(1971/米) | 張込と尾行に特化したベッケル・メルヴィル発ニューシネマ経由の純粋映画の昇華形がロイズマン撮影の即物感と相俟り最高。一発の銃弾を契機に爆走に転ずる展開の妙とラストの詠嘆。ポパイのキャラはアメリカの自己照射だ。全ての面で風化度ゼロ。 | [投票(3)] | |
時計じかけのオレンジ(1971/英) | 勿体ぶって終始虚仮威しをカマしてるが実はハッタリばっかりであったという脳内構成映画。舞踏めいた殺陣の胡散臭さと超広角レンズにコマ落としの映像幼児性はアナーキズムの敗北を戯画化するだけ。そこには、真に撃つべき対象への畏怖が欠落しているのだ。 | [投票(1)] | |
暗殺の森(1970/伊=仏=独) | トラウマから逃げるためにファシズムに傾倒し命ぜられるままに暗殺に手を染める。そういう主人公の受け身人生が感情を排した観察眼で取り上げられるのだが、一方で耽美的な映像やデカダンな意匠にここぞとばかりに傾注する。表層的で両者は相互に浸食しない。 | [投票(1)] | |
ラスト・ショー(1971/米) | 黄昏の田舎町でゆっくりと死んでいく人々。ベトナムは遠く少年達は少年らしく今を受容するだけ。アカデミーのジョンソンとリーチマンも良いが若干の生気を発するエレン・バーステインが救い。 | [投票(4)] | |
おもいでの夏(1971/米) | 泡沫の如くに過ぎ去るひと夏の淡い思い出が人生に何を呈するのかなぞと野暮は言わずに浸りきろうという割り切り。ズームやスローモーションの多用がかなり煩いが、ここまで戦略的にやられると諦めがつく気もする。ベタに流れそうでそうならない程のよい感傷。 | [投票] | |
ゴッドファーザー(1972/米) | マフィアによる殺戮連鎖もファミリー結束への拘泥もシチリアでの刹那な愛もそのパッションはギリシャ悲劇めいた悲愴とロジックが上塗りする。しかし、その厳格な統御から突出するブランド・ウィリス・ロータの個人スキル。映画史上の奇跡的邂逅。 | [投票] | |
候補者ビル・マッケイ(1972/米) | 翻意の過程や成長の描き方が覚束なくドラマトゥルギーの形成は蔑ろなのだが、モノホンのスピーチライターによる演説の迫真性がそこを補う。事務所や会場の臨場感もリアリティありナタリー・ウッドのカメオも点睛を添える。メレディスの存在感も十全。 | [投票] | |
キャバレー(1972/米) | ボーイソプラノが扇動するファシズムの勃興を斜眼で捉まえながらの舞台上と袖で交錯するライザとグレイの視線が全てを見透かすかのように錯覚させる作劇のクールネス。超絶にかっこいい。描かれる数々の恋をショウとシンクロさせて描く手法も楽しい。 | [投票] | |
ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972/仏) | 強固な意志で鋭利に階級を撃つのではなく、後の『自由の幻想』に連なる諧謔趣味が顔を出すことによって冴えたシーンもあるにせよ総じて緩慢になった。大体、悪いことしてる奴らが撃たれるってんでは捻りもクソもなくそういうのはブニュエルらしくもない。 | [投票] | |
エクソシスト(1973/米) | 悪魔払いの鬼面人驚かす数々の趣向と登場人物の背景の孤独な心理地獄が相互浸食して剣呑さを倍加していく。そんな中で唯一の精神支柱フォン・シドーがフィジカルに潰える荒業が映画を転倒させクライマックスに雪崩込む作劇の妙。稀有とも言える大風呂敷。 | [投票(2)] | |
ペーパー・ムーン(1973/米) | グッドオールドデイズ的話芸がシネフィル的に嫌らしくも巧過ぎて見とれるのだが、如何にもな大人こどものテイタムには今いち馴染めない。コヴァックスのモノクロ撮影が時に水墨画のように素晴らしく、フォードなアングルで撮られた空なんて粋。 | [投票] | |
スティング(1973/米) | 30年代へのラグタイムに彩られたノスタルジアのモデルを作り、映画史に刻印されるドンデン返しを創作し、性格俳優ニューマンを伝説の領域に押し上げた作品だが、根底に不況下のペシミズムが横たわる。が、それらを踏まえて尚包み込む暖かな慈愛が横溢。 | [投票(1)] | |
アメリカン・グラフィティ(1973/米) | 夜通し光り煌めくローカルタウンはルーカス流『ラスト・ショー』への返歌だったのだろうか。最後の馬鹿騒ぎに繰り出す4人の幼馴染みは実は全くつるまない。わけてもドレイファスの孤独で切ない彷徨はこの映画の肝であった。 | [投票(4)] | |
叫びとささやき(1972/スウェーデン) | モノクロームの表現主義に傾倒してきた映像作家が虚飾を脱いで彩色世界で曝け出した女性観が血の色だというのが生々しくキツい。手法の変化という以上にベルイマンの内なるミソジニーが全開された転換点。だが先鋭的な神秘主義が後退したのが物足りない。 | [投票] | |
チャイナタウン(1974/米) | 30年代復刻ブームに乗った企画はポランスキーの内実から生じたものとは思えず、がしかし、アルチザンとしての高度な技量を駆使し魅せるものにしてみせる。ニコルソンのニヒリズムは文句ないが、利権と色欲の権化には老ヒューストンは枯れすぎ。 | [投票] | |
アリスの恋(1974/米) | 身の程知らぬ希望に縋り付く限り男運も主人公に寄り付かない。意に沿わぬ安月給のウェイトレスが、それでも身に馴染むにつれ運も歩み寄る。労働に関する映画とも言えダイナーのシーンこそ白眉。徒労な前段だが子役が牽引。特にクールなジョディが良い。 | [投票(2)] | |
カンバセーション…盗聴…(1974/米) | 匿名性に固執する孤独キャラは良いのだがサックス吹いたり柄じゃない違和感。ポランスキー&ヒッチ風味で作風を一気に変えたコッポラだがアントニオーニに行き着く手前で息切れした。世界が卑小で冒頭の街頭盗聴シーンが結局は最大の見せ場。 | [投票] | |
映画に愛をこめて アメリカの夜(1973/仏=伊) | 入れ子「パメラ」は茶番であるが、役者が役者を監督が監督を演じるメタ批評性が映画にダイナミズムを与える。絶頂期トリュフォーが才能の余禄で撮ったようなもんだが映画の神は皮肉にも降臨。自画自賛話を聞かされ気持ちいいのは人徳以外の何物でもない。 | [投票(2)] | |
ゴッドファーザーPARTII(1974/米) | 信義則を重んじファミリーが形成されるビトーの時代と功利な冷徹がそれを瓦解させゆくマイケルの時代。その交錯を彩る時代の空気の再現とシシリーとNY、タホ、マイアミからキューバへと変転する地理的な巨視感。完璧な叙事的クロニクル。制約が生んだ奇跡。 | [投票(1)] | |
レニー・ブルース(1974/米) | この男は1人で落ちて行くのではなく女も一緒に落ちて行ってくれたからまだしも救われたような気がするが、孤独な哀しみも倍加する。直前までヴェガスのショーガールだったというバレリー・ペリンの圧倒的な存在感が他の同趣向の作品と一線を画す要因だ。 | [投票(1)] | |
オリエント急行殺人事件(1974/英) | 貧民どもを蹴散らしブルジョワたちが乗車するプロローグが豪気で笑える。フィニーが造形したポワロのゲイ的変質味が突出し12人顔出し凡アンサンブルを統御。雪に閉ざされた情緒は『12人』の暑熱ほど効果を及ばさぬとも済崩しにラストはドラマチック。 | [投票(1)] | |
ヤング・フランケンシュタイン(1975/米) | 相当な下ネタ的ギャグで彩られたパロディが、品格あるモノクロ撮影と元ネタのポイントを的確に押さえた構成で神懸かり的な域に達している。ブルックス一家の面々のコラボにカメオも加えた演技合戦もバランスがいい。パーフェクトだと思う。 | [投票(1)] | |
狼たちの午後(1975/米) | 成り行きから初舞台に立った男が空気に慣れ饒舌化し自分をさらけ出し始める。整った設定と申し分ない役者を誂え、それでも弾け切らないのは演出が流されてるだけだからだ。外の炎暑の不足は中での不穏な冷気を弱める。牽引するカザールも描き足りない。 | [投票(1)] | |
カッコーの巣の上で(1975/米) | 後半は一応盛り上がりを見せるが、軽度にせよ精神病院ってこんな普通の連中ばかりか?という疑問。体制へのプロテストも余りに捻りが無い。しかし、今更の知れた題材を名優たちを誂えて真正面から十二分な押し出しで語り名作然とした鈍色の光沢を放っている。 | [投票] | |
フェリーニのアマルコルド(1974/仏=伊) | 朝靄の中の巨船も雪の中の孔雀も木の上の叔父貴もフェリーニ的なはったりではあるのだが、挑発は影を潜め郷愁に塗り込められる。共同脚本に内実にまだしも重きを置くグエッラが参加したのが大きい。集大成とも言えるし転換点とも言える最後の傑作。 | [投票] | |
バリー・リンドン(1975/米) | 物語は方便に過ぎず、役者は単なる装置である。兎にも角にもロケハンと衣装とメイクを含めた映画美術と臨界超えF値による幽玄の室内と観光的薄さと対極の歴史を内包する屋外の光。それら技術への過度の傾倒が周回した挙句に恐ろしいまでの冷笑へ到るのだ。 | [投票(7)] | |
マイ・ラブ(1974/仏) | 目眩くような歴史の変遷と時代に翻弄される人々をケラー3役とデネ2役のトリッキーで冴えたアイデアと時代ごとのポップスで紡ぐルルーシュの一大転換点となった中期の傑作。後の弛緩した『愛と哀しみのボレロ』の原点とも言える引き締まった作。 | [投票] | |
ハリーとトント(1974/米) | ペット片手に放逐されたハリーは貯えも身寄りもあって嘗ての『ウンベルトD』の爺さんのような悲愴はなく自立の矜持満々。アメリカに国力が溢れてた時代の幻影。ただ、寄席芸人としてカーニーの地力がハリーとシンクロするリアリティが真実味を付与した。 | [投票(1)] |