★3 | 過去のない男(2002/フィンランド=独=仏) | 今目の前で死を宣告された男が突然…。ある意味、ドライヤーの『奇跡』で最後に起こったことが、ここでは最初に起きる。理由はない。そうではなく、むしろそれ自体が映画の中では否応なく理由になってしまうということ。少なくとも映画では、メロドラマよりも喜劇こそがより偉大であり得るみたい。〔3.5〕 | [投票(2)] |
★4 | 永遠の語らい(2003/ポルトガル=仏=伊) | 子供の時分、夏休みに田舎の親の実家で遠くから響いてくる蝉しぐれにでも耳を傾けているかの如き、そんな時間が流れる。陰り、霞がかった空と海と街。画面に歴史が映っている。波間にしっかり揺れている客船。幕切れには、現実としての惨劇というより、映画としての痛快さを見てしまった。 | [投票(1)] |
★3 | パーマネント野ばら(2010/日) | 回想や夢想のシーン、映画内に於けるその本来的不安定さは、映画の中の「現実」のあやうさをこそ示している。小津やゴダールをつい想起してしまうような画面の連鎖が、それでいてよくも悪しくも人間の物語にしっかり着地する。〔3.5〕 [review] | [投票] |
★4 | 東京物語(1953/日) | 同じ様なショット、同じ様なシーン、同じ様なセリフ、その反復。しかし「反復」は同一的ではあっても同一そのものではない。飽くまで同一“的”でしかないからこそ逆に差異が焦点化される。日常の(物語の)原理が作品の形そのものとして実現される。現在(生=同一性)のさ中にあっての過去(死=差異)の存在が、画面に暗い影を落とし続ける映画。 | [投票(1)] |
★4 | 秋刀魚の味(1962/日) | 杉村春子の登場と、その直後の怖ろしい表情。加東大介の敬礼と行進と軍艦マーチ。機械人形じみた岩下志麻。セリフの執拗なリフレイン。滑稽、それ故の残酷、あるいは不可解。これを狙ってやっているのだ(ろう)から、凄まじい。ついでに、最後に映し出されるアレ、これまたなぜそれがそこにあるのかが不可解。ある意味、完璧な(運命的)遺作。 | [投票(3)] |
★3 | ザ・ウォード/監禁病棟(2010/米) | 所謂、いい意味での「B級」なのだと思う。なんというか、ヒロインその他のキャラクター達の姿かたち、あるいは表情やアクションの、エロスのあるようでないような微妙なバランスがそれらしい(気がする)。ただ、完全にその枠内に収まってしまっている作品でもあるとは思う。若い監督がこれを撮っていたら、どうだっただろう。 | [投票(2)] |
★3 | 忠次旅日記(1927/日) | 三部作全体でもなく、また復元されたといってもやはり原版そのままでもあり得ず、故に☆3。随所にハッとするようなシーンやショットがある(とくに女優陣に)。また字幕とアクションをリズムよく繋いだカッティングにも心が躍る。 | [投票(1)] |
★3 | ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル(2011/米) | 何も言うことがないというくらい面白い。…ほんとに何も言うことがない。見終わって、そして忘れる。どこかしら空騒ぎの感がなくもなく、再び見たいとも思わない。言わば「ミッション終了!」の一言で括れてしまうが如き、妙な虚ろ(?)さ…。 | [投票(3)] |
★4 | 青の稲妻(2002/仏=日=韓国=中国) | 反復される動作は、しかし抵抗としての持続には至らず、いつも敢え無く頓挫する。挫折ですらないところの途絶。 | [投票] |
★4 | たまもの(2004/日) | いい意味でピンク映画的な裁量の自由を最大限活かした小品(なのでしょう)。説明的でなくとも説得的であり得る映画のキセキ。意味ありげでありつつ意味なんてないと軽く突き放すことも出来る際どい一線にふみとどまっているバランス感覚。 | [投票] |
★3 | 秒速5センチメートル(2007/日) | 「どんな切実な告白でも、聴手は何か滑稽を感ずるものである。滑稽を感じさせない告白とは人を食った告白に限る。人を食った告白なんぞ実生活では、何んの役にも立たぬとしても、芸術上では人を食った告白でなければ何んの役にも立たない。」
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★3 | WALL・E ウォーリー(2008/米) | CG映画は相変わらずかつての遺産を“反復”することしかできないんじゃないか、という疑念。御都合主義的心理化としての擬人化。人間のドラマの模倣によってしか絆を確認出来ないロボットが描かれるのは、その観客が人間でしかないからだ。そして辿り着くのは新しき「植民地」。 [review] | [投票(1)] |
★3 | ミリキタニの猫(2006/米) | 911を象徴的事象として介してはいるが、しかしそこは「映画=物語」の始点ではない。言わばそれは、偶然なのであり、その偶然が映画の中で必然となっていくという「映画=物語」の本質的構造をこの映画が有していることは、それだけでこの映画が映画として祝福されていることを示している。そしてそれは、ミリキタニ老人もまた。 | [投票] |
★2 | 小川の辺(2011/日) | 起こらない。何も起こらない。本当に起こらない(笑)。そして映画は何も起こらないまま終わっていく…。主要な(段取的)挿話が全て回想で処理されるという…じつになんとも言えないごくサッパリなシナリオ構成に、そこまでして映画一本殊更拵える意義ってなんなのだろう、などと思ってしまいました。 | [投票] |
★3 | ソーシャル・ネットワーク(2010/米) | 「ゲーム」という児戯じみた陳腐な比喩が、社会を席巻するその事象にどうしても似つかわしいように思えてしまう歪。何に踊っているのか、あるいは踊らされているのかも判然としない、統覚不在の歪。そしてその中心(?)に居たのは、ある意味では単なるイノセントな青年でしかなかったという、物語化に伴う免罪符。〔3.5〕 | [投票(3)] |
★3 | タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密(2011/米) | 実写ならば驚異を覚えただろうが、CGアニメでは単なるパノラマアイデア図解に見える。つまり予定調和の内部に作品世界が収束している。何が決定的に欠けているのかと問うのなら、恐らくそれは、実写ならば瞬間と瞬間の狭間に垣間見える筈のアクションの断続性であり、つまりは静(0)から動(1)への飛躍・跳躍。 | [投票(1)] |
★3 | 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん(2010/日) | 「浮く」…ということは、この映画の主題なんだと言ってもいいんだろう(恐らくは)。言葉が、体が、心が、あるいは“物語り”そのものが宙に「浮く」。その浮遊感から着地して、歩いていけるその為には、「君」が〈!〉必要。たとえそれもまた「嘘」に過ぎなくても、何度でも、何度でも。 [review] | [投票(3)] |
★3 | リアル・スティール(2011/米) | 展開される画面が「活劇」の為のそれ。人物の性格設定もまた「活劇」の為のそれ。即ち「活劇」は“話が早い”。それ故のドラマ的な食い足りなさはあるかも知れないが、やはり何より「活劇」である映画は見ていて愉快、壮快、痛快だ。またジャパニーズへのリスペクトも本気度高し(『鉄人28号』から『ガンダム』まで!)。 | [投票(1)] |
★1 | プリンセス トヨトミ(2011/日) | 素人のゲームマスターが満足なシナリオの準備もないままほとんど思いつきの行き当たりばったりでリードしたテーブルトークRPGみたいな作品(なんだそりゃ)。全ての展開も演出も、惰性で流れているようにしか思えず、まともに観ていられなかった。 | [投票(1)] |
★4 | 新宿泥棒日記(1969/日) | 街を自分の体で歩けた最後の時代。吉本ばなながマンガ『鉄コン筋クリート』を評した「自分の町を自分の体で生きたくなる」という言葉を思い出す。東京の映画館で観た時は、映画館を出た時そこに映画の世界が持続しているかの如き感覚を抱いた。 [review] | [投票] |