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[POV: a Point of View]
●アメリカン・ニューシネマに愛を込めて 
映画の革命!俺の世代 アメリカン・ニューシネマ>ヌーベル・ヴァーグ>ネオ・リアリズム 

■ 「ニュー・シネマ・・・暴力・・・セックス・・・芸術・・・自由にめざめた映画の衝撃!」1967年12月8日号の「TIME」誌は、派手な表紙とともに『俺たちに明日はない』を特集した。ニュー・シネマと云う言葉の初登場!■『イージー・ライダー』、『明日に向って撃て!』『真夜中のカーボーイ』等々の同傾向の斬新な秀作が発表されるに従い、全てそれらはニュー・シネマの名で呼ばれることになる。■ニュー・シネマは『M★A★S★H』(1970年)、『スケアクロウ』(1973年)のカンヌ映画祭グランプリ受賞で、ひとつの頂点を極める。●A 1967年●B 1968年●C 1969年●D 1970年●E 1971年●F 1972年●G 1973年●H 1974年以後(遅れて来たアメリカン・ニューシネマ!)
H★4大統領の陰謀(1976/米)アラン・J・パクラ監督 
H★4狼たちの午後(1975/米)シドニー・ルメット監督 
H★4続・激突! カージャック(1974/米)スティーブン・スピルバーグ監督(激突!とは全く関係なし。いいロードムービーですよ。)
H★4天国の日々(1978/米)テレンス・マリック監督
H★4ナッシュビル(1975/米)ロバート・アルトマン監督 
H★4ディア・ハンター(1978/米)マイケル・チミノ監督 
H★4フレンチ・コネクション2(1975/米)ジョン・フランケンハイマー監督(続編ですが、監督がハリウッドの名監督なので、マジ踏み絵)
H★4カッコーの巣の上で(1975/米)ミロス・フォアマン監督 
H★4フルメタル・ジャケット(1987/米=英)スタンリー・キューブリック監督
H★4ダーク・スター(1974/米)ジョン・カーペンター監督
H★4テルマ&ルイーズ(1991/米)リドリー・スコット監督
H★4グリニッチ・ビレッジの青春(1976/米)ポール・マザースキー監督
H★4プラトーン(1986/米=英)オリバー・ストーン監督
H★4ネットワーク(1976/米)シドニー・ルメット監督
H★3ダーティ・メリー クレイジー・ラリー(1974/米)ジョン・ハフ監督
H★3帰郷(1978/米)ハル・アッシュビー監督
H★3ミスター・グッドバーを探して(1977/米)リチャード・ブルックス監督
H★3天国の門(1981/米)マイケル・チミノ監督
H★0ミズーリ・ブレイク(1976/米)アーサー・ペン監督
H★0パララックス・ビュー(1974/米)アラン・J・パクラ監督
■ニュー・シネマはアメリカのジャーナリズムが用い始めた言葉であり、一つの流派や思想上の運動ではない。故に、明確な定義を与えることは難しい。しかし、「(ベトナム)反戦」、「性の解放」、「暴力」、「反体制」、「アウトサイダー」、「人種問題」、「アンハッピーエンド」、「ドキュメンタリー・タッチ」、「ロックやポップスの感覚的な使用」、「ハリウッドの手垢にまみれていない監督、俳優」、(あと、「低予算」 笑)等のキーワードが重なる程、その映画はアメリカン・ニューシネマの範疇(はんちゅう)の核に入って行く。■衝撃の事実が!★実は、アメリカ本国では、アメリカン・ニューシネマと云う言葉がない!『俺たちに明日はない』等初期の作品に対してニュー・シネマと云う言葉は、今でも使われることがある。しかし、アメリカン・ニューシネマという総称は、日本の映画ジャーナリズムが広告宣伝上、作り上げた造語である。(それを知った いくけんも超ショ〜ック!)■しかし、従来のハリウッドの伝統的な物語構成とは距離を置いた作品群を、俊英たちが、競って発表した一大ムーブメントが無視されている訳では、当然、無い。アメリカにおいて、このムーブメントは、数年後大作を発表するコッポラスピルバーグルーカスの仕事を含んだ形で、ハリウッド・ルネッサンスと呼称される。■そう、ハリウッド・ルネッサンスこそ、まさしく、現在アメリカ映画の聖なる出発点なのだ。
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