[コメント] 宇宙戦争(2005/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画、監督はもはや円熟の境地に達したのか、これまでの演出技法、またはよく見るシーンの博覧会のようである。もうストーリーの整合性など何の興味もない、自分の好きなことをやりたいだけのようだ。
話の展開の仕方は、デビュー作の『激突!』と似通っている。最初に家庭の不和が強調され、心が不安定な主人公、そこに突如舞い込んだ理不尽な暴力、必死に逃げる、そして突如訪れる終息と虚脱感。『ジョーズ』のような海、『ジュラシックパーク』のような地下室。ここで宇宙人はヴェロキラプトルなみの知能しかないのか、と突っ込んでも仕方がない。監督はそれをやりたいのだ。監督は宇宙人にすら興味がない。造形はともかく、有名なラストの落ちですら恐ろしく投げやりである(前作の荘厳なイメージとはほど遠い)。
その一方で、なにより印象深いのは群集(=難民)のシーンである。群集シーンは『太陽の帝国』『シンドラーのリスト』のシリアス路線で顕著である。部分的には『未知との遭遇』も群集映画と言えるし、『続・激突 カージャック』には車が群集に取り囲まれるシーンがある。これは監督の出自と関係があると思うが、彼は難民、暴力的な群集、逆に未来を予感させる希望に満ちた群集を描くのが好きなのだ。まさにユダヤ人が歩んできた道そのままに。
今まで娯楽路線ではその傾向は抑えてきたのだが、今回はそれを前面に押し出してきた。監督はとうとうやりたいことをやった、と言えるのかもしれない。アメリカ人を「難民」にしてしまった。有無をも言わせず射殺される、無辜の民を次々と捕獲してカゴに入れる、人間扱いされない、人間としての尊厳が100%無視されるとはどういうことなのか、いやというほど描かれる。そしてそんな環境で頭がおかしくなる人間もいれば鬼になる人間もいる。私にはユダヤ人としての半生を送った監督の、映画による復讐のように写った。無論表向きは合衆国万歳だが・・・。
私はこういう監督の気持ちはよく分かるし、こういうことを娯楽映画でやってのける姿勢に賛辞を送りたいが、それぞれの描写は単発的であり、じっくり描かれることはない。特に後半の頭のおかしくなった男の件はあの程度ではとても万人を納得させることはできないであろう。その後の娘のトラウマもどうだか分からない。やはり自分の撮りたいシーンを撮ってみました、という程度にしか感じられない。個別のシーンは強烈な印象があるが、それぞれが結びついていない、とも言える。やはり娯楽SF映画でこの路線で説得力を持たせるには、もっと腰を落ち着けてやるべきだったのだろう。
ラストシーンでは、『激突!』『続・激突 カージャック』『未知との遭遇』と同じく、どんなにがんばっても男性(または父親)にはこの地上には居場所はないことを示唆している。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (25 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。