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ジェシー・ジェームズの暗殺(2007/米) | 捜索者』などと比較すると、はるかに単純な語り口である。主要人物による会話劇と、シーン変わりに挿入される叙情的な風景ショット、要所に入るナレーションという構成で、とりわけ特殊効果による風景撮影はあざとくもあるのだが、なんといっても人物造形の豊かさ、濃密な芝居空間に漂う恐ろしいまでの緊張感は傑出している。すべてのキャストが非常に魅力的だ。 (shiono) | 同じ南北戦争後の時代を描いたフォードの『[投票(3)] |
ディア・ハンター(1978/米) | マイケル・チミノには演出力が無いと思った。それは冒頭の結婚式の描き方で明かだ。映画は基本的にどう描くかだ、何を描くかよりも。しかし、それでもこの映画は何を描くかということにおいて力に満ちている。圧倒的に。 [review] (ゑぎ) | 当時、[投票(9)] |
理由なき反抗(1955/米) | review] (町田) | 友情も恋愛も薄っぺらく、親子が迎える結末も安易で、ストーリには全く乗れなかったが、ニコラス・レイの端正な画面作りには感心した。チキンレースのシーン、水の無いプール、プラネタリウムのシーンが良い。 [[投票(2)] |
理由なき反抗(1955/米) | ジェームズ・ディーン以外に誰がいるだろう。彼の存在感や舞台設定により、思春期の悩みが雰囲気として伝わってくる。(2007.11.10.) [review] (Keita) | “理由なき反抗”というタイトルがこれほど似合う男は[投票(3)] |
殺人!(1930/英) | アルフレッド・ヒッチコックは明らかにかぶる。冒頭のシーンとサーカスのシーンは成熟期のヒッチコックを予感させる出来栄え。 (ジェリー) | 殺人事件に関心を持ってしまう主人公と、映画的出来事としての殺人に関心を持ち続けた[投票(1)] |
Ray レイ(2004/米) | ジェイミー・フォックスが、ジワリと見せる。このさじ加減は特筆。 [review] (chilidog) | 中途半端に手を変え品を変えて出て来る場面転換のカット(とくにCG)は、逆効果では?子供を抱いてもトラウマに苛まされても、溺れるに身を任せ続けるダメ人間の部分を[投票(2)] |
Ray レイ(2004/米) | ジェイミー・フォックスは評判どおりの熱演だし、演奏シーンにはノッていけたし、数々のエピソードも興味深く飽きずに観られたんだけど、結局のところレイ・チャールズという人がどんな人間だったのか、この映画を最後まで観ても理解できた気がしない。 [review] (緑雨) | 確かに[投票(6)] |
Ray レイ(2004/米) | レイ・チャールズという人に迫ろうとした演出が、結果としてフォックスら役者の最もよい面を引き出し、この映画を成功へと導いている。 [review] (ナム太郎) | 例えば料理で言うと、素材そのものの味を生かした作りとでも言うのだろうか。過ぎることなく、愚直なまでに忠実に[投票(1)] |
死滅の谷(1921/独) | フリッツ・ラングのぶっ飛んだ傑作。まず冒頭で死神が作った「壁」の威容さに早くも瞠目してしまう。裂け目の階段なんか本当に凄いセットだ。 [review] (ゑぎ) | 初期[投票(3)] |
知りすぎていた男(1956/米) | review] (tredair) | 子どもの頃に最も度肝を抜かれたのは、モロッコの市場でのシーン。 [[投票(3)] |
知りすぎていた男(1956/米) | review] (緑雨) | アルバート・ホールでのコンサートシーンは、その絢爛さといい、カット進行や人物への役割の与え方の緻密さといい、総合娯楽芸術としての一つの到達点ではないだろうか。とにかくわくわくする。 [[投票(2)] |
知りすぎていた男(1956/米) | 動物園のクマ) | 階段をゆっくり下りさせたら、ヒッチコックにかなう人はいないっすね。 ([投票(3)] |
カッコーの巣の上で(1975/米) | ニコルソンらクセのある演技派を起用し反体制を訴えるなら映画自体をぶっ潰すくらいの気概がほしかったが、このフォアマンの演出はあまりにオーソドックス。そこが時代を超えた高評価に繋がっているのは分かるが、それではあまりにもつまらない。 (ナム太郎) | [投票(3)] |
ラスト、コーション(2007/米=中国=台湾=香港) | review] (ぽんしゅう) | まあ、「Caution(警戒)」は分からんではないが、「Lust(肉欲)」が何とも中途半端。かろうじてスパイ映画の体裁は保ってはいるものの、前半の純愛青春パートと後半の性愛肉欲パートの突込みがおざなりで、カタチだけのドラマはあっても人間がどこにもいない。 [[投票(4)] |
野性の少年(1970/仏) | ジェリー) | 決して煽り立てるようなアップがない絵作り。時には、窓越のダイアローグ場面すら取り入れ、客観性を演出する冷静な画面。こうした反=劇的な絵作りだからこそイタール教授の学問への熱情や、ゲラン夫人の人肌の愛情の温かさが、輻射熱としてではなく伝導熱として伝わってくる ([投票(2)] |
野性の少年(1970/仏) | 奇跡の人』ほどじめじめした感じはなく、監督トリュフォー自ら演ずる先生と少年のやり取りはややもすれば面白いとさえ思えてくる。少年は監督の分身とも取れるのだが。 (24) | まず最初の森の映像が美しい。『[投票(3)] |
野性の少年(1970/仏) | ゑぎ) | まずアルメンドロスのモノクロ撮影の美しさ。自然光の扱いの巧さにはもう舌を巻く。森。屋外と屋内とのルックの調和。そしてロングとミディアムを基調にしながら絶妙に少年と医師をフォローしていく。時に心理的にも距離を置き、時に暖かな眼差しで。いい。トリュフォー+アルメンドロスは矢っ張りいい。 ([投票(4)] |
野性の少年(1970/仏) | トリュフォーとアルメンドロスの初タッグ作品ということやJ・P・レオーに捧げられていることを考えると、内容以上にトリュフォー作品の中での重要度が高い。映画を観て、その“重要度”に初めて気づいた。 [review] (Keita) | 内容も実話に基づきテーマ性が強い作品だが、[投票(3)] |
野性の少年(1970/仏) | review] (にくじゃが) | 「ブラックジャック」に出てくるトリュフォー先生はここからだったのね。 [[投票(4)] |
叫(2006/日) | disjunctive) | 如何にもすぎて一見のところ俗物趣味な風景もセットも、イヤらしさが高じてコントの感受性と近似するとき、そこになぜか品位と普遍性が誕生してしまう。むろん、いつものパターンではあるが。 ([投票(3)] |