★5 | いまだに、ポストカードとか、人気ありますね。 (JEDI) | [投票] |
★5 | 基本は大切にしておきたい。 [review] (tredair) | [投票(20)] |
★4 | 勝手にしていて良いと思う。 (かっきー) | [投票] |
★4 | 20年ぶりに見て、映像の素晴らしさに驚く。セリフは割といい加減だったんだなあ。ゴダールはラストで無理やり愛の映画にしちゃったんですね。それが当時は分からなかった。 (セント) | [投票] |
★5 | 映画史的にいまだに事件であり続けている数少ない作品の一本。この方法論が決して主流にはならないという意味で永遠の革新性をもち続けるだろう。どんでんを排したぶった切ったような編集と、主人公の行動や考え方が、リリカルに共振する美しさを評価すべきと思う。 (ジェリー) | [投票(2)] |
★5 | 何度見ても理屈抜きに楽しめる映画です。 (とんとん) | [投票] |
★5 | 密告者は密告し、強盗は強盗し、人殺しは人を殺し、恋人は恋をする ― この一言になんもかんも集約されてる気がします (まご) | [投票(8)] |
★3 | 手持ちノーライトカメラに時間軸無視の繋ぎや既成曲の断片使用に数多の引用など全てはここから始まった起源的価値を剥ぎ取り残るのは青臭い男女の痴話。先駆者は常に陳腐化するの例えから逃れられてるのは結局ベルモンドとセバーグの魅力があるから。 (けにろん) | [投票(3)] |
★5 | 言わずもがなの作品。クタールの自由を謳歌するキャメラも秀逸。この映画のベルモントの着こなしは参考にさせて頂いてます。ジーン・セバーグはまさにミューズだなあ。でも、映画としてどっちか、と言われれば『気狂いピエロ』に軍配。 (立秋) | [投票] |
★5 | 軽くて速度があってお洒落で明日がない。ベルモンドの泥棒に重い目的や古い倫理がないように、この映画にも目的も倫理もない。セパーグが成熟を保留しているように、この映画も成熟を保留している。ベルモンドが唇を指で撫でるように、この映画にも気になる癖がある。 (エピキュリアン) | [投票(6)] |
★5 | ヌーヴェルヴァーグ万歳!ゴダール万歳! (glimglim) | [投票] |
★5 | 吹けば飛ぶような、私たちの青春 (ボイス母) | [投票(3)] |
★5 | パトリシアを主人公として、私は観ましたよ。そうじゃないとチンピラの言動には、全くついていけませんので。 [review] (よちゃく) | [投票] |
★5 | ベルモンドの歩き方、しゃべり方、煙草の吸い方・・私が男だったらぜーんぶ真似する!でもたまたま女だったので、セバーグの方になることに決めた!・・・のは、あれは・・ふっ・・(遠い目) [review] (イライザー7) | [投票(5)] |
★4 | 気狂いピエロとの相対値で4です (yos) | [投票] |
★5 | この映画をみてから、男は惚れた女に振り回されているのがたぶん幸せなんだろう
と悟った。ジーン・セバーグかわいすぎ、ベルモンドかっこよすぎ。 (TAX FREE) | [投票(1)] |
★5 | 真面目なばかりの映画に嫌気がさしてふざけてみたら、真面目な映画が全部吹き飛んでしまった。その小気味よさは今も有効。 (tomcot) | [投票] |
★3 | ほぉ、これが代表作なら、ヌーベルバーグの良さってのはオシャレ度とアホっぽさなんだね。 (埴猪口) | [投票(4)] |
★2 | この手の映画は、何の予備知識も無しで今観ても良さがわからないのかも。が、そんなことはどうでもいい。 (ビビビ) | [投票(1)] |
★4 | …レビュー書いてる内に評価がどんどん上がっていきました。こんな事があるから映画批評は楽しいもんです。 [review] (甘崎庵) | [投票] |
★4 | ベルモントみたいな濃い男にうってつけのキャラ。めちゃくちゃやっていんだ、と思うとすごく楽になった。 (ぱーこ) | [投票] |
★5 | 何の目的意識もないけれど、素晴らしい「点」がそこらじゅうに点在している。ベルモンド&セバーグの掛け合いは奇跡のよう! 魅力的なシーンや台詞が詰まってるので、ただ何気なく部屋で流しておきたいです。(2010.12.04.) [review] (Keita) | [投票] |
★4 | ヌーヴェルヴァーグというのはそもそも肩肘張って観るような映画ではない。「映画史を変えた!」などという触れ込みを念頭において観るから面倒くさいことになる。可愛らしい「すれ違い」の映画。 [review] (赤い戦車) | [投票(3)] |
★5 | この映画のベルモンドは奇跡的なカッコよさだ!
ファッションからタバコの吸い方まで本気で真似た! (frank bullitt) | [投票(1)] |
★5 | たとえば「男の子」と「女の子」。問題は此の「と」であって、そこに息衝く断絶と接続の運動こそ映画の全てだと言うこと。圧倒的に輝く光の白や煙の揺蕩が世界の無償の豊かさそのものなら、その中で男女は断絶と接続のキワを生きる姿を喜劇と悲劇の狭間で演じる。視線と視線は映画の視線を介して互いに断絶し合い、また接続し合い、つまりは「愛」を演じる。瞬間ごとに生きている本来の映画、映画の本来。 (鷂) | [投票(1)] |