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★4不良少女モニカ(1952/スウェーデン)どこにでもいそうな不良少女モニカが、泣けてくるほど美しい。 [review]寒山拾得, ジェリー[投票(2)]
★3愛しのアイリーン(2018/日)「人間関係は心の戦争」(原作台詞)。「冷たい戦い」ならぬ「熱い戦い」としての活劇的メロドラマ。つかず離れず、微妙に揺動し続けるハンディキャメラはそこに“いる”ことで群像を等価に、然し決して冷淡ならず映し出す。飽くまでも被害者ではなく加害者として己を演じ続ける人物達の相克が本音も建前も欲と金の奔流の中に消し尽す。そして唯一残響することになる、なけなしの告白。〔3.5〕DSCH, ぽんしゅう, けにろん[投票(3)]
★3SUNNY 強い気持ち・強い愛(2018/日)一見タイプキャスト的なキャスティング間に、それでも同一的な繋がりが見えてくるのはなんの巧妙か。コギャル連の泣き笑いの率直な表出が、その生態あれこれを単に時代風俗としてでなく映画内アイコンとして息づかせ、見る者の素朴なシンパシーを喚起する。あられもなき池田エライザのつかいかたの、つくりものめいたいかがわしさにこそ、映画演出本来の絶妙、奇妙がある。否応ない物的露呈こそが“感動”を印象に刻印する。けにろん, ぽんしゅう[投票(2)]
★4寝ても覚めても(2018/日)心理を微分するのでなく言動を積分することで、人物と物語を描き出す。人物の言動が心理的脈絡を追い越すように繰り出され、その断続が全体に瀰漫する不穏、その不断なサスペンスと波及し合うことで物語が紡がれる。心理的人物の表象ではなく、心理的現実そのものとしての映画。だからこそそれは、震災の変動をたんなる歴史的事実ならぬ、普遍的な世界の不穏そのものの表出のようにも描き出す。だからこその、男女の邂逅。ゑぎ, ぽんしゅう, セント[投票(3)]
★32/デュオ(1997/日)精神的に追い詰められる若いカップル、その破局。虚実相半ばする手法で演じられていく有り様が重辛い。 [review]けにろん[投票(1)]
★3ペンギン・ハイウェイ(2018/日)「泣くな、少年」。「お姉さん」は概して人間というよりは人形で、それだけ関係の構図はグロテスクかも知れないが、不意打的で断絶的な黒味画面は随所でその関係の切実な真相を瞬間的に表層化する。幼い妹の突然の慟哭の挿話によりそこに有と無に極限化される少年期的な存在論的真理の真実味がもたらされる。少年はしかし、最後の最後に決定的に決壊してこそ全ては掛け替えもなく真実化されるのではなかったか。〔3.5〕けにろん[投票(1)]
★4キューポラのある街(1962/日)吉永小百合が愛らしい。それだけで物語への回路が開かれる。 [review]寒山拾得, ぽんしゅう, けにろん[投票(3)]
★5ツィゴイネルワイゼン(1980/日)「なんでも腐り掛けがいちばん旨いんだよ」。黒い泥と辛い潮が滲むような悪い夢。退屈と不安と苛立ちと焦燥。DSCH, ペペロンチーノ[投票(2)]
★3レディ・バード(2017/米)軽やかかつ果断な編集のリズム。恐らくは敢えて回収されない話の末節。ファミリーと言うよりはホームの、もっと言えばホームタウンの映画。後景にホームタウンと言う社会的空間あってこそ、前景の青春劇も軽やかかつ果断な編集のリズムで綴る事が出来たのではないか。フィルム的な画像の質感と近過去設定の妙なマッチ感もその空間あってこそでは。〔3.5〕ゑぎ[投票(1)]
★3万引き家族(2018/日)点と点が線で結ばれ、線と線から面が生まれ、面と面が組み合わされて立体となる。一見末節同士でしかないような事象相互によって「社会問題」のモジュールが出来あがる。だがそこに内実を感じない。苦悩を生きて告発する中心的な肉体を感じない。映画的に彼ら彼女らを結びつけるのが互いの視線の絡み合いであるならば、ラストショットは映画から現実を睨み返すような逆接的な直視こそ欲しかった。〔3.5〕緑雨, ゑぎ, セント[投票(3)]
★3blank13(2017/日)小品的な小品、つまり自己完結的。「ブランク」の露呈が三文即興劇的に終始する様子はけっして映画自体の印象を攪拌することもなく、言わば70分の尺のその又半分だけの内実しかないが、そこにはたしかに美点もある。松岡茉優のごくありきたりな「受胎告知」の場面に、ふと「聖なる瞬間」なんていうフレーズが浮かんだ。「人生」の機微はそんな「聖なる瞬間」の密やかな積み重ねにこそあるのだと。ぽんしゅう, けにろん[投票(2)]
★5この世界の片隅に(2016/日)「戦時下」がやがて強いていく、内心と肉声の背反。しかし背反ではあっても乖離ではなく、むしろすずさんはその背反からこそ、じしんの中にあられもなき実存を見出していく(エロティックでさえあり)。「戦時下」と言う″悪″さえ人を覚醒させる(良くも悪しくも)。喪われたことにただ怒り、喪われたものにただ泣くこと。やっぱりのんさんに主演女優賞。緑雨, ぽんしゅう, 寒山拾得, DSCHほか6 名[投票(6)]
★3山の焚火(1985/スイス)姉弟、父母、祖父母の三世代の人間、三組の男女しか出てこない。遠眼鏡、虫眼鏡、あるいは手鏡や姿見は無論「見る」為の道具だが、それで見いだせるのは御互いに合わせ鏡のような存在でしかない肉親同士のみ。見つめ合うことは御互いを呪い合うこと。呪いによって結びつけられる男女=夫婦=家族。それ故に蠱惑的な「家族」の死の物語り。Myrath, けにろん[投票(2)]
★3永い言い訳(2016/日)道化的に相対化される奇矯な立居振舞の束の間、ふと疎外された子供のような覚束ない表情を見せる本木雅弘。演出・演技による造形の実体はそこにある、ように見える。場面と楽曲の編集に於けるシンクロが全体に渉る映画のリズムを生み、本当の心=涙が一筋だけ然りげ無く頬を伝う一時の、そのために映画は描写を積み重ねる。世界と人生は自意識の器ならず、という自得。 〔3.5〕 けにろん[投票(1)]
★3百円の恋(2014/日)Hungry/Angryの張り紙。一子は食べる。誰も彼もが食べる。何皿もの餃子、コンビニの焼うどん、百円バナナ、ぶ厚すぎるステーキ、湯豆腐、弁当屋の弁当、カップヌードルはカレーもシーフードも食べる。画面の中に日常的な背景を描くに何気に層化された演出もなくはなく、主演女優の奮闘のみならずサポート。〔3.5〕DSCH[投票(1)]
★3ゴースト・イン・ザ・シェル(2017/米)スカヨハの義体演技も肉襦袢コスも、バトーのカメラアイも、日本語のたけしも、過剰広告なビル群の街並も、露骨すぎるオリジナルリスペクトも、だいたい話の体裁の為だけみたいな自分探索問答も、全部が全部、尤もらしいというより胡散臭い。でも、それがいい。そんな胡散臭いものども犇いてこその「映画」。そのさ中に肉体の役者、役者の肉体が息づいてあることのかけがえのなさ。YO--CHAN, けにろん[投票(2)]
★4レディ・プレイヤー1(2018/米)童心を介して通じ合う作り手と受け手という構図も仮想と現実に関する教訓も、児童娯楽映画の体裁に過ぎずそれ以上でも以下でもない。それよりなにより観客を映画に繋ぎとめるのは、あのじつにまどろこしく、まぎらわしく、それ故愛らしい半端なアクセスギア(?)の設定あれこれ。活劇は飽くまで生身の運動によって展開されるという原理の担保でもあり、それはゴッコ遊びとしての映画そのものを無辜の饗宴となさしめる。ゑぎ, Orpheus, おーい粗茶, けにろん[投票(4)]
★3アウトレイジ 最終章(2017/日)自殺ならぬ自決。自分のための他人、他人のための自分。生還以後の北野武のモラルはつまるところはやはり贖罪としての「献身」。「若い衆やっちゃった…」。自作自演のスター監督兼俳優にだけ許される『許されざる者』の末路。演者達の活力の欠乏がむしろ作劇の負の活源として画面を跳梁する。笑って泣く道化の映画。〔3.5〕disjunctive, ぽんしゅう, DSCH[投票(3)]
★4メイド・イン・ホンコン(1997/香港)無駄肉のない逆三角なサム・リーの精悍な両肌の若者らしさ、その体勢の前後への傾斜のチンピラ加減が映画のキモとしてこれ以上ないピースとして輝く。死せる乙女の肖像に憑りつかれ夜ごと繰り返される夢精(自慰ならぬ夢精!)。深いフォーカスで見せる狭く薄暗いビル回廊と遍在する生活音ノイズが香港の街の空間=空気を言外に浮かびあがらせる。それを呼吸する人物の息衝く息遣いさえつたわってくるかの如き「青春」の映画。けにろん[投票(1)]
★5火垂るの墓(1988/日)無数の蛍の火は、無数の命の火で、それは朝になれば無惨な無数の骸になり果て、まとめて葬り去られるほかない。兄妹は赤い炎につつまれ、あるいは自らが赤い炎そのものとなって闇の色、光なき光(赤色)として灯り続ける。その社会、その時代、その関係、その自分で出来うるかぎりに精一杯生きて、そして死んだ。その事実。それだけの映画。最良の宮沢賢治のような戦争文学映画。Myrath, けにろん, 寒山拾得[投票(3)]