★4 | 万引き家族(2018/日) | この一家を語るのに絆という言葉は使わないと決めた。絆という漠然とした概念は、法律という明文の対極にありながら、どちらも人が平穏でいるために無理やり作った安心装置にすぎない。この集団は常人の安全装置の外にいるから恐ろしくもあり、愛おしくもある。 [review] | [投票(4)] |
★4 | たそがれ清兵衛(2002/日) | 大切なものをなくしたとき、その空虚さに耐えるため、人は時として残りの人生に対して頑なになる。清兵衛と巴の思いやりが生む刃のような遠慮。善右衛門との磁石のような誘引と反発。三人三様の心の揺れを見事に表現した我慢強い山田洋次の演出力が光る。 | [投票(3)] |
★4 | オペレッタ狸御殿(2004/日) | からくり箱の中で繰り広げられる、奇妙な夢物語を覗いているようなチープ感がたまらなく良い。はからずも清順の気負いのない出鱈目さが、茶目っ気となって嫌味ない大人の学芸会を成立させている。久しぶりに薬師丸ひろ子の、あのかん高い歌声も聴けたし。 [review] | [投票(4)] |
★3 | 湯を沸かすほどの熱い愛(2016/日) | 「別に逃げたっていいじゃないか」がモットーの不徳な私には、双葉(宮沢りえ)の「家族を超えた愛」の正統すぎる気迫は、いささかはた迷惑。死を前提にした意志の強要は反則技。まさか、この無差別な愛への信認の行きつく先が、世界平和の成就でもあるまいし。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 世界の中心で、愛をさけぶ(2004/日) | 心の動きが瞬時に身のこなしとして体現する長澤まさみと森山未來のパートが素晴らしく、柴咲コウのパートがなければ青春映画の秀作と成り得たが、元が純粋泣き物仕様なのだから仕方なし。行定勲が何とか画だけで作品の水準をもたせた。 | [投票(7)] |
★4 | 紙の月(2014/日) | お金がどこからきて、どこへいくのかを知りたいと世間の原理に従順な女(小林聡美)は言う。自分は行くべきところに行くだけだとも。一方、世間の事象を引き受けようとする梨花(宮沢りえ)は、少女時代からお金は誰のものでもないということに薄々気づいていたのだ。
[review] | [投票(3)] |
★4 | 鍵泥棒のメソッド(2012/日) | 殺し屋と婚活女のキャラクターが絶妙。こんなに魅力的な広末涼子を観るのは『鉄道員』以来だ。現代版スクリューボール・コメディでは男と女は対立などしない。二人は、ひたすら本当の自分を取り戻そうと不器用に互を観察する「健康な努力家」同士なのだ。 [review] | [投票(7)] |
★4 | フラガール(2006/日) | まずは何をおいても、フリチン何するものぞの松雪泰子のキレッぷりが素晴らしい。美紀子(蒼井優)の素朴な頑固さに共感し、30年代の多くの地方少女が経験したであろう早苗(徳永えり)の悲哀に感涙する。李相日の嫌味なきサービス精神も好感。 | [投票(10)] |
★5 | 三度目の殺人(2017/日) | ピンと張りつめた温度の低い画面。それは事件の高揚の反動のようだ。“生れてこなかった方が良い人間もいる”“誰を裁くのかを、誰が決めるのか”“ここでは誰も本当のことを言わない”“あなたはただの器なのか”そんな呪詛が我々を常識のらち外へと導いていく。 [review] | [投票(1)] |
★5 | 歩いても 歩いても(2007/日) | 「そんな小さなことで・・・」。何度か交わされる言葉だ。人は心の底にある大きな不安や不満など、簡単に口に出したりしない。それは、たいていカタチを変えて些細な不満として現れる。何故なら、そこには相手を傷つけまいとする無意識の思いやりがあるからだ。 [review] | [投票(3)] |
★3 | 学校 III(1998/日) | 「学校」とは名ばかりで「しのぶ」とタイトルしたくなるぐらい大竹しのぶの映画。いわゆる中流的普通さからずれてしまった女の日常の普通さを、なんなく演じきってしまう圧倒的な女優力。その分、他の要素が映画の外へと吹き飛んでしまった。 | [投票(1)] |
★2 | 北斎漫画(1981/日) | 前半の樋口可奈子と田中裕子の浮世離れしたシュールなエロスは素晴しいのだが、後半の北斎、馬琴、お栄の老年シーンは舞台芝居特有の観念臭さが抜けず映画としては鈍重で鬱陶しい。つられて、エロス表現も一方的な男目線に終始して興味本位の域を出ずに萎縮する。 | [投票] |
★5 | 麦秋(1951/日) | 家族の朝の喧騒で映画は始まり、初夏の風が吹きぬける山あいの麦畑で終わる。簡潔なセリフで日常が積み上げられ、絶妙な映画的視線で日常が紡がれていく。静かだが永遠に続く大海の揺らぎのようなリズムの中、人は人と暮らし、人は人と別れる。 | [投票(4)] |
★4 | 地獄でなぜ悪い(2013/日) | 文字通り血の雨を降らせ、血の海を出現させる友近の過剰さに感嘆し、「言葉」の具現化にかける園子温の執着と遊び心に喝采を贈る。圧倒的な過剰さで善も悪も蹴散らし秩序を無に帰す平田(長谷川博己)に、真性の紊乱者としての園の本性が覗く快作。 [review] | [投票(7)] |
★3 | モテキ(2011/日) | 冒頭からの暴走に映画文法の破壊への期待は高まり、森山が放ったバッグのオバハン直撃に端を発し、妖精出現を彷彿とさせるPerfume登場で高揚は頂点を極めるも、以降、なし崩し的に凡庸街道を突き進み、女優陣を浪費しつつ、裸体なき純愛ピンク映画の域に納まる。 [review] | [投票(2)] |
★5 | 告白(2010/日) | 語られるのは女教師による「命の重さ」についての、いわば裏正論である。中島哲也は「裏」が持つ危うさや後ろめたさを、歯切れの良い快活な演出で巧妙にはぐらかし、立場や通念という感覚を麻痺させる。焙り出されるのは「裏」が「表」を凌駕する高揚と寂寥と錯覚。 [review] | [投票(12)] |
★4 | ヤッターマン(2008/日) | よい子のための映画として、実に正しい胡散臭さを放っている。日常を離れた闇のなかでかいま見る、ちょっとエッチな大人世界。子供が映画を見る意義のひとつがソコにある。ナンセンスメカの躍動を見事に再現してみせた特殊効果スタッフと三池崇史の甘い毒に4点。 [review] | [投票(6)] |
★3 | 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(2007/日) | きっと、これは面白い映画になるはずだ。これから面白くなるはずだと、待ち続けるうちに2時間が過ぎてしまった。病的なほど従順で、どこか薄気味悪さすら漂わせる待子の明るい腑抜けぶりを永作博美が好演。この人の「悲しみの愛」は、充分不気味であった。 [review] | [投票(3)] |
★5 | 赤目四十八瀧心中未遂(2003/日) | 堕ちることが使命であるかのように負の方向に向かう大西滝次郎の強い目の光。黄泉との境界を越えまいとふらふらと揺れる寺島しのぶの身のこなし。大楠道代が、内田裕也が、新井浩文が、人が人として存在する重さと悲しみを体現する。 [review] | [投票(2)] |
★3 | 雨あがる(1999/日) | 勿論、黒澤へのオマージュはかまわないのだが、監督デビューとしての小泉堯史の矜持はどこにあるのだろうか。巨匠の演出を巧みにトレースしたところで本家に敵うはずもなく、登場人物がみんな躍動せず、こじんまりとしているのは物真似ゆえの萎縮ともとれる。 | [投票(2)] |
★2 | 東京夜曲(1997/日) | ただでさえ不快な過去の引きずり方をしている男と女達の話しを、小津風情景ショットの積み重ねの中に塗りこめ、ご丁寧にもそのショットがことごとく退屈ときているのだから気が滅入る。唯一の救いは岡山での桃井のラストショットと高田渡の唄ぐらい。 | [投票(1)] |
★3 | ガメラ 大怪獣空中決戦(1995/日) | 怪獣映画は少年のためにこそあるべきだ。平成の少年達は不幸である。こんな女子高生に夢や未来が託せるか?。大人のオモチャと化した怪獣映画に己の姿を見出すことも出来ず、怪獣や科学の力からも見放された少年達は不安と不満の中を彷徨い続けるであろう。 [review] | [投票(2)] |
★4 | 居酒屋ゆうれい(1994/日) | 過去のしがらみをきっぱりと清算してしまいたいという、バブルが弾けとんだ90年代初頭の虚しさと悔悟の中、誰しもが密かに抱いたであろう超ご都合主義的やり直し願望と絶妙なタイミングで共鳴した大人の寓話。こんな他愛ない話が心にしみることもあるのです。 [review] | [投票] |
★2 | まあだだよ(1993/日) | 「いいか!お前ら。尊敬とはこうやってカタチにして表すものだ。もっと俺にもかまってくれよ!」という、黒澤の悲痛な思いが映画から滲み出している。老いて渋く枯れることもなく、過ぎた栄光に浸るシワだらけの幼児。やだやだ。こんなジジイにはなりたくない! | [投票(1)] |
★2 | 寝盗られ宗介(1992/日) | 藤谷美和子の空っぽ勘違い芝居でレイ子にまったく魅力なく、宗介(原田芳雄)の非独占的愛情が虚しく空回り。といって筧利夫に、原田を受けて立つほどの力量もなし。過剰な思いが生む感情と行動のずれというつかこうへいの持ち味が死んでる。 | [投票(1)] |
★4 | 無能の人(1991/日) | 頭がくたくたになったり、いたく精神的にダメージを受けた夜には水割り片手にコレを観ます。すると“別にどうでもいいじゃん!”みたいな気分になります。重宝してます。 | [投票(3)] |
★3 | つぐみ(1990/日) | 成長神話が崩れ去った70年以降に生まれ育った世代の生きにくさの究極的象徴ともいえる少女が、その閉塞的状況を受け入れつつ、したたかに生きる姿はそれだけで息苦しくも逞しいが、類型的な懐かしさを伴う海や島の自然描写との間にミスマッチを感じた。 | [投票(1)] |
★4 | 夢見通りの人々(1989/日) | ベースを構成するネイティブな大阪的粘り気に対する、小倉久寛、大地康雄、原田芳雄が持つ反大阪的歯切れよさ。その絶妙の配合具合こそが、本作が感情過多に陥ることなく心地よい人情喜劇として成立している理由。松竹京都と大船を知る森崎東のバランス感覚か。 | [投票(1)] |
★4 | 異人たちとの夏(1988/日) | かつて、どん詰まり野郎が特権のごとく振りかざした暴力が、完全に否定されてしまった現代社会において、男が現実から逃避できる先は、同じ匂いを放つどん詰まり女のもと。そして、無垢の愛情で受け入れてくれる父母のもと。なんとあやうくやっかいな性、男性。 | [投票(3)] |
★5 | Wの悲劇(1984/日) | 誰しも、その場その場で何かの役を演じているものだ。そんな自分が好きになれるか嫌いになるか、その迷いを乗り越え自分を受け入れることが大人になるということなのかも知れない。しかし、静香(薬師丸ひろこ)が幸福な選択をしたのかどうかは分らない。 [review] | [投票(6)] |
★2 | 竜二(1983/日) | 竜二のキャラクターが退屈。ヤクザだろうがサラリーマンだろうが、世の中に掃いて棄てるほどいる普通のダメ男のまんま。何ら映画的な魅力付けがされていない。北公次の方がよっぽど魅力的。どうでもいいことですが・・ [review] | [投票(1)] |
★5 | さらば愛しき大地(1982/日) | 幸雄(根津甚八)の憂鬱。文江(山口美也子)の諦観。順子(秋吉久美子)の希望。大地の雨と風と陽光の中で暮らすということ・・・すなわち、その土地で耐えるということ。
[review] | [投票(4)] |
★2 | 夕暮まで(1980/日) | 風俗ネタで人を呼びたかった映画会社と、中年の哀愁で作品を作りたかった製作者のギャップがそのまま映画に出ている。絵に描いたような失敗作。 | [投票(2)] |
★5 | 復讐するは我にあり(1979/日) | 殺しながら生きる男(緒方)が吸い寄せられるようにたどり着く、まさにドン詰まりの宿の母娘(清川・小川)の閉塞感。情欲を封じられた男(三国)と女(倍賞)の視線が発散するエロス。今村と姫田によって、映画に重層的かつ濃密に人間の業が塗り込まれている。
| [投票(3)] |
★4 | ダイナマイトどんどん(1978/日) | 「何でもかんでも話し合いだの平等だの、ゴタゴタ言ってんじゃねえよ。やることやらずに甘ったれんな。民主主義だって言えばコトが済むと思うなよ!」と言いたくなることがままあるのは、俺だけではないようだ。 | [投票(1)] |
★5 | 稲妻(1952/日) | 右往左往する女たち。ネチネチまとわりつく男たち。この半分つながりの姉妹たちの生活空間には、母親(浦辺粂子)が撒いた負の磁場が存在するかのようだ。その証拠に、この母親は娘を引き寄せ、あるいはのこのこと何処にでも顔を出しさりげなく存在を主張する。 | [投票(1)] |
★3 | 犬神家の一族(1976/日) | 迫力のおばさん三姉妹に3点。特に髪ふり乱して詰め寄る草笛光子おばさん、こわい。 | [投票] |
★4 | 幸福の黄色いハンカチ(1977/日) | 予定どうり始まり、予想どうり終わる。金を払った分だけは楽しませてくる・・・武田鉄也と桃井かおりの勢いを楽しむ映画。 | [投票] |
★4 | 鬼婆(1964/日) | 鬼とは実は人間であるという至極真っ当な暗黒メルヘン。天下が動乱するとき人心もすさぶ。そこに生きる者たちは、自らの欲望に忠実なだけで、己の心がすさんでいるなどとは微塵も思いはしない悲劇。徹底的に無駄を削いだシャープな黒田清己の撮影は必見。 | [投票] |
★5 | 祇園囃子(1953/日) | 矜持=「自分の能力を信じて抱く誇り」。“女”の誇りと“祇園の女”の誇りの深い裂け目。その底を垣間見てベテラン舞妓(木暮美千代)も、少女舞妓(若尾文子)も苦悩する。溝口建二と宮川一夫の視点はサディスティックでさえある。 | [投票(5)] |
★3 | 晩菊(1954/日) | 杉村春子、細川ちか子、望月優子が醸し出す三者三様の女の行き詰まり感が実に切ない。ただ、その軸になる要素が「金銭」であることにより、三人の置かれた状況があまりにも現実的で分かりやす過ぎ深みに欠け、ステロタイプな感がしなくもない。 | [投票] |
★4 | 競輪上人行状記(1963/日) | 人間の欲の何たるかを我が身に刻みつけるように知り、ついに至った清濁あわせ飲む悟りの境地。そのあまりの真正直さが思わず笑いを誘いつつ、春道(小沢昭一)の説法の説得力の強度となる痛快さ。西村昭五郎が放つ、新人ならではのパワフルで荒削りな怪作。 | [投票(2)] |
★4 | 果しなき欲望(1958/日) | 俺はそんな馬鹿なことはしないという優越感が生む冷笑と、自分もそうかも知れないという不安感が生む苦笑い。生活背景を殆ど描かず、欲だけで念入りに磨かれた鏡のようなこの喜劇の登場人物たちに観客は自分の姿が移りこんでいるのを見てしかたなく笑うのだ。 | [投票(3)] |
★5 | 男はつらいよ 寅次郎相合い傘(1975/日) | なんという切なさ。さすらい人リリー(浅丘)の強がりの陰に隠された寂しさと、戻れない男たる寅の気ままさの裏返しである悲哀が、磁石のように惹きつけあい、一瞬にして反発しあう無情。そんな流れ者たちの定めを凡庸なサラリーマン船越英二が際立たせる。傑作。 [review] | [投票(4)] |
★3 | 破戒(1962/日) | 苦悩に曇る雷蔵の端正な顔を見ているとこちらまで辛くなる。差別に立ち向かう被差別者の決意は、確かに生死を賭けるほど重要な問題なのだが、誤解を恐れずに言えば差別する側にとってはピンとこないものだ。何故なら、差別者とは想像力が欠如した者のことだから。
| [投票] |
★3 | 赤ひげ(1965/日) | 逸話がどれもヒューマニズムを説かんが為のカタチありきで、凝りに凝った細部の演出が逆に、上辺のボロ隠し的な過剰装飾にみえてしまい、臭い。「保本(加山)、お前必ず後悔するぞ」の、赤ひげの一言に黒澤が決して現実を甘くみていないことは理解できるのだが。 | [投票(2)] |
★3 | ゼロの焦点(1961/日) | 久我美子を高千穂ひずるが、さらに高千穂ひずるを有馬稲子が喰う。本来は、たたみかけるような後半の展開がこの話の醍醐味なのだろうが、要領の悪い奴の事後報告を聞かされているようでイライラしてくる。せっかくの川又昂の奮闘がもったいない。 | [投票(3)] |
★5 | ぼんち(1960/日) | 船場のしきたり社会を描いて、なんというモダンさ。溝口健二や成瀬巳喜男ではこうはならない。回想形式を巧みに使い60年代の映像感覚で、無理なく戦前・戦中を描いてしまう。戦後デビューの市川崑・和田夏十コンビの前衛精神がなせる技。 | [投票(10)] |
★4 | 人間の條件 第1部純愛篇・第2部激怒篇(1959/日) | 超人的ヒューマニストによる正義のほどこしが、緩みきったモラル界では強固な負の結束をもたらすという人間の業。正しすぎる正義の起爆によって撹乱される山村聰の男気、小沢栄太郎の意地、新珠三千代の忍耐、淡島千景の反抗の人間臭いことよ。
| [投票(1)] |