★5 | 最後の摩阿陀会のシーンでは、人に説明するのが難しいような種類の涙がこぼれ落ちた。
脚本が泣かせよう泣かせようとしていないからこそ、
あまのじゃくな僕でも、
抵抗なく自然な涙を流すことができたんだと思う。 [review] (fedelio) | [投票(3)] |
★5 | 現在益々失われて行く師弟関係を美しく描きつつも、年齢と共に作風が変わって行ったことを自分は肯定的に捕らえた。 (タモリ) | [投票(3)] |
★4 | 黒澤明は死ぬまで変わらぬ心の座標軸を持っていた。あんなおっかないグラサンのジジイがこのような純情を心の中に持ち続けていたということには、感動せざるをえない。 (ペンクロフ) | [投票(2)] |
★4 | ひたすらに優しい映画であり、それが、老いた自分自身への優しさのように見える所もあるのは否定しないが、それは自己愛というより、黒澤が最後に辿り着いた「くつろぎ」のように感じられる。 [review] (煽尼采) | [投票(1)] |
★4 | 駐屯地で切腹するカリスマよりも、猫が消えたぐらいで立ち直れなくなる、そんな先生にこそついていきたい。黒澤映画に遺作なし。この記念すべき三十本目は、作家黒澤明がそれでも現在進行形だった証だと信じる。 (kiona) | [投票(1)] |
★4 | 過去の黒澤映画と比べてしまうけど、それでもつまらないという気はほとんどしなかった。ネコ騒動で少しダレるけど、爽快で気持ちの良い映画に変わりは無い。あんな先生の元で育った生徒は幸せだったろうし、あんな生徒が居てくれた先生もまた幸せだったろう。 (Ryu-Zen) | [投票(1)] |
★4 | 舞台を見上げているかのような視線が好きだ。人物の動きを追って右に左に。猫をねこかわいがりして失踪すれば上へ下への大騒ぎ。男くさい百鬼園先生の摩阿陀会をのぞくひととき。 (カフカのすあま) | [投票(1)] |
★3 | 小津や溝口のような傑出した遺作を持たなかったことで黒澤を侮蔑する態度は取りたくないと思う。とは云えこの『まあだだよ』が遺作であることはとても寂しいことであるには違いない。 [review] (ゑぎ) | [投票(6)] |
★3 | 本作で面白いのはもっぱら撮影美術。ボロ屋の四季をサイレント風に並べた件が最高で、小開けにした扉から村松達雄と香川京子が上下に並んで屋外の雪を眺めるショットがとりわけ美しい。 [review] (寒山拾得) | [投票(5)] |
★3 | あまりにストレートな善意の交換、面白くもなんともないのに湧き上がる笑い声。正直観てて気恥ずかしいが、何と言うかパワーは感じる。それも嫌な種類のパワーではない。それにしても香川京子は素晴らしい。 (緑雨) | [投票(5)] |
★3 | 黒沢映画大好きなんだけど・・『赤ひげ』『どですかでん』あたりまではね。それ以降は、なんか、役者が監督に「こうしてくれ」「ああしてくれ」と指示されて演じてるような感じで(役者が勝手に黒澤を内在化しちゃったにしろ)のめり込めない。その最たるものがこの作品でした。役者の周りにカメラや照明機材を感じちゃうのね。なんでだろう・・。 (エピキュリアン) | [投票(4)] |
★3 | どこか人を不安にさせる色使い。黒澤のカラー作品はすべて何やら禍々しい影に侵されている。表面上はハッピーなはずのこの遺作も例外ではない。回想内の「列車」など良くも悪くも異様な画面を多く持つあたりは流石だが、このコメディ勘の欠如ぶりには閉口する。登場人物たちの笑顔が観客の笑顔を喚起しない。 [review] (3819695) | [投票(3)] |
★3 | 俺は十分面白いとは思うが、現実にこれを作った奴が年寄りだという事実が俺の胸にのしかかる。誰にも「まあだかい」と聞いてもらえない黒澤が、一人で一生懸命「まあだだよ」と言ってる姿が想像されてしまい、少々きついもんがある。もう年寄りが気持ち良く死ねるような時代じゃない。死ぬ間際に現実逃避する奴を責めるのも可哀相だし・・・。まじできついわ。 (隼) | [投票(3)] |
★3 | 百間先生という人物は、実は黒澤監督自身の投影だったのかも知れない。[Video] [review] (Yasu) | [投票(3)] |
★3 | 旧制高校同窓会・昭和天皇・五色の雲。 [review] (ぱーこ) | [投票(3)] |
★3 | 馬を力強く描写していた監督が猫をスローモーション、ちょい切ない。
猫の件は「長いよ」と感じた。人形劇を見てるような感じがした。
歳とったら再見しようか、、 (モノリス砥石) | [投票(2)] |
★3 | 死を前にして内田百間という存在を借りてまでも自らの人間としての存在価値を見出したくなった黒澤明という人は、その栄光とは裏腹に、やはり常に寂しさと隣り合わせの人生を送ってきた人だったのだと思わざるを得ない。 (ナム太郎) | [投票(2)] |
★2 | もーいいよ。 (茶プリン) | [投票(8)] |
★2 | これが遺作となった事に哀しさを覚える。土砂降りの雨も照りつける太陽もない。色遊びのような絵画的シーンもない。 [review] (sawa:38) | [投票(4)] |
★2 | 登場人物や舞台設定が作り物であるという公然の秘密を公式に認めたような出来上がり。開き直りがこの映画の背骨だ。見る者はこの映画を前に怒るのか、笑うのか、見ることを放棄するのか。ともかくも、この映画は『七人の侍』という古典の極北から歩きに歩き続けてたどり着いた、一映画人の精神の高貴な迷走の極点である。 (ジェリー) | [投票(3)] |
★2 | 走れども走れども脚本に追いつけない監督とスタッフと役者たち。精神論だけでは映画は撮れない。その合理性を理解しないから、日本映画は衰退した。猫と雷の一瞬の芸術のみ。 (ヒエロ) | [投票(3)] |
★1 | 最高に熱い映画を作り続けた巨匠が最後に遺した恐ろしく寒々しい大人の学芸会。 (AKINDO) | [投票(3)] |
★1 | 監督名だけでこういう映画を評価するから日本映画は発展しないんだよ。 (ジョニー・でぶ) | [投票(2)] |