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★3テス(1979/英=仏)黄昏の野原で踊る娘たちは巫女か霊媒のよう。時折現れる異教的偶像に漂う超時間的感覚。其処此処にあの世とこの世の仕切りを取り外したような雰囲気が…。一種の怪談なのでは?[投票(1)]
★4告白的女優論(1971/日)水面の月影を追うようなとりとめのない、しかし、美しい映画。虚実を巡って話は転々とするものの、つまりは「見えるものがすべて」。「告白的」と言いつつ、終始表面的に遊んでいる。[投票]
★4金環蝕(1975/日)冒頭の日蝕の薄気味悪さ…。神でも悪魔でもなく、妖怪としか言いようのない面々が、閉じてしまった世界を嬉々として跳梁跋扈する。非凡さの片鱗もない腐敗ぶりがむしろ「昭和」らしい。[投票]
★4仁義なき戦い 広島死闘編(1973/日)価値観の崩壊した焼け跡に吠える怒れる若者たち。殺人マシンになる奴、金と女がすべてと言い切る奴、ただ苛め殺される奴…。戦争は終わっても彼らの純真と悲惨に変わりはない…。[投票(1)]
★2皆殺しの天使(1962/メキシコ)うーん、わからない…。政治的な寓話なのか?ブルジョワ批判?パニック映画?SF?コメディ?ダダイズムのような「反芸術」?それとも、ただの遊び?そのどれでもあるようだが…。[投票]
★4ジュリア(1977/米)いい加減には生きられない激しい気性の人々。孤独の高貴、内的対話の豊穣、創造の苦痛と栄光、そして、馴れ合わず独り我が道をゆく者の間にある深い絆。火酒のように澄んでキツい。[投票(2)]
★3パッチギ!(2004/日)在日不良少年たちの清々しいまでの凶暴さ。荒ぶる純情。そして、唐突に訪れる青春の終わり。叙情溢れる語り口、と同時に、何か赤面させるような説教臭さも…。良くも悪くも直情径行。[投票(1)]
★4秋日和(1960/日)冠婚葬祭と遊びと飲食こそ小津映画のすべて。嬉々として縁談ごっこに興じる中年男女の助平とニヒリズム。対照的に、慎ましく生気に満ちた娘たち。寒色・暖色入り混じる秋の景色。[投票(4)]
★4尼僧物語(1959/米)愁いを帯びた美しい眉。自己放棄と献身を貫く剛毅。古い衣を惜し気もなく捨て、去ってゆく後姿の凛々しさ、拭いきれない悲哀。色恋も華やかな風俗もないが、歴とした青春映画。[投票(1)]
★4ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(2006/米)自由を求めて戦い敗れていった『イージー・ライダー』から三十数年。生粋の田舎者(偽物だが)がゆく超田舎者大国・アメリカ紀行。あり余る悪意と品位の無さが光るロードムービー。 [review][投票(2)]
★3グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)ハリウッドばりに盛り上げておいて、唐突に東アジアの日常風景に落とす脱臼的演出が冴える。が、『殺人の追憶』の凄みはなし。むしろ、現代ソウルの豊かさ・退屈さばかりが浮かび上がる。[投票(1)]
★4大阪の宿(1954/日)下積みの人々の諦めと忍従。サラリーマンの愚劣と悲哀。彼らの憂鬱とともに土佐堀川は流れる…。護岸が人と川面を隔てる以前には、人は笑って人生と和解するすべを知っていた。[投票]
★5仁義なき戦い(1973/日)戦争という巨大な暴力を体感的に再現し得たのは『ゴジラ』とこの映画だけ。そして暴力の吹き荒れた跡には悲惨だけではなく、平等と連帯があった。それが一時の徒花だったとしても。[投票(1)]
★4ロリータ(1962/英)教養はあるのに愛が解らない男の、独り遊びにも似た小娘への恋、そして、無残な敗北。理知的な男が理知ゆえに、ささいな盲点から狂気に追い込まれてゆくキューブリック好みの話。[投票(1)]
★4現金に体を張れ(1956/米)緻密過ぎる計画は、理知的過ぎる語り口同様むしろ破綻を予感させる。「理性と言う名の地獄」を熟知するキューブリックだからこそ、破滅の場面はすべてが無に帰す暗い悦びに輝いている。[投票(3)]
★4やくざの墓場 くちなしの花(1976/日)官僚組織のシステマティックな悪がすべてを牛耳る汚辱の世界。脚本家・監督ら、戦争で死に損なった世代の「戦い」への郷愁は無惨な結末を…。ちなみにくちなしの花は白く、香り高い。[投票]
★4鶴八鶴次郎(1938/日)山田五十鈴の、指で挟んだ煙草を口元へ持ってゆく仕草、煙を吐きながら人の話に聞き入る風情、吸殻をきゅっと揉み消す手つき、その格好良さ・コケットリー。それだけでも観る価値はある。[投票(1)]
★4わが命つきるとも(1966/英=米)王・カトリック教会・宗教改革派―「絶対」のドグマで世界を解釈する勢力と偉大なる常識人との死闘。こうして中世は過去のものとなった。刃の上を渡るような「言葉の決闘」を楽しめる。[投票(1)]
★4クィーン(2006/英=仏=伊)女王と国民の間にあるアンビバレントな愛。私たちは今も「君主」というドラマを欲している。たとえ、現代における彼らの役割が「厳粛なる敗北」を演じること以外に何もないとしても…。[投票(1)]
★3清作の妻(1965/日)これが「アダムとイヴ」の話であることは明らか。楽園から追放される二人。そこから始まる新しい歴史。増村は戦後の日本映画において稀有な個性の持ち主だった、と改めて思う― [review][投票(5)]