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★4 | バード(1988/米) | 平生とさして変わらぬいかにもイーストウッド的な演出が運命論的なドラマツルギーに加担すると、映画はかくも重くなるのだ。笑えない。アクションもない。イーストウッドも出ていない。だからこそイーストウッドによるダイアローグ空間構築の凄味が浮き彫りになる。フォレスト・ウィテカーはもちろん、ダイアン・ヴェノーラもすばらしい。 | 緑雨, ナム太郎 | [投票(2)] |
★4 | ナイト&デイ(2010/米) | アクションもコメディも得意分野ではないだろうに、ジェームズ・マンゴールドはよくやっている。ヒッチコックなりスクリューボール・コメディなりの参照法は優等生的だが、それでもなお映画がただの懐古に終わらないのは基礎演出力の確かさによる。一方、トム・クルーズとキャメロン・ディアスはこれが本領。 [review] | けにろん, わっこ, 煽尼采, ALOHAほか8 名 | [投票(8)] |
★4 | ウィンターズ・ボーン(2010/米) | 「不思議なことなど何ひとつない」と云わんばかりの口調で語られる『不思議の国のアリス』。「土地」を感覚させる表現の恐ろしさが断然にアメリカ映画だ。カントリー音楽、より厳密には「バンジョー」もそのユーモラスな形状と音色で映画の感情を引き裂いて、果てはラストカットにおいて感動を形づくる。 [review] | 緑雨 | [投票(1)] |
★3 | 鉄コン筋クリート(2006/日) | アニメーションにおける活劇としてのレヴェルは高いと思うが、それだけに後半の観念的な展開は残念。もちろんその展開に説話的な必然性があることは理解するが。というよりも……。 [review] | DSCH | [投票(1)] |
★4 | 抱きたいカンケイ(2011/米) | 古典的な美しいラヴストーリー。キャメロン・ディアス、キャサリン・ハイグルに続いてナタリー・ポートマンを相手にするアシュトン・カッチャーの役得は計り知れない。とまれ彼の清潔感と平均以上のコメディ・センスはここでも映画がウェルメイドな古典性を装うことにひとかたならぬ寄与を果たしている。 [review] | きわ | [投票(1)] |
★3 | 愛を読むひと(2008/米=独) | クリス・メンゲスとロジャー・ディーキンスという当代一流と超一流の撮影監督を擁した、近年にないほど贅沢な作品。しかし実際に私が見た限りではほとんどのシーンがメンゲスのタッチに思える。共同撮影監督とされるに相応しいほどディーキンスが積極的な仕事をしたのか、ちょっと疑わしい。 [review] | 緑雨, 煽尼采 | [投票(2)] |
★4 | パルプ・フィクション(1994/米) | 感心しない。いくらなんでも冗長。それは上映時間が長いからでも無意味なダイアローグがだらだら続けられるからでもなく、演出のメリハリが弱いから。あるいは撮影が「瞬間」を切り取っていないから。云い換えれば、これは非常にアッサリした映画だ。だが、面白い。 [review] | 緑雨 | [投票(1)] |
★4 | 時をかける少女(2006/日) | 「反復」の映画。 [review] | 緑雨, muffler&silencer[消音装置], おーい粗茶, くたーほか7 名 | [投票(7)] |
★2 | パコと魔法の絵本(2008/日) | 一個の驚きもない。観客に媚びを売りつつ観客のイマジネーションを蔑ろにした凡庸なイメージの洪水。不細工な光と雨と風と空。この監督は「映画」など信じてはいないのだろう。キャラクタ造型も紋切型に紋切型を掛け合わせただけでぺっらぺら。阿部サダヲを筆頭に「笑い」の水準も近年まれに見る記録的な低さ。 | DSCH, アーマージャック, naoko, の | [投票(4)] |
★4 | ラビット・ホール(2010/米) | 柔らかな光線を浴びて慎ましやかに輝いた緑と橙の画面は、悲劇のそれではまるでない。夫妻の心象とは無関係に世界は美しい、という以上に、やはりそれは映画の造り主の優しさだ。そして、映画のスローモーションはこうあってほしいというラストシーン。絶望の深さと願いの切実さが時の流れを精細化する。 | けにろん | [投票(1)] |
★3 | ロリータ(1962/英) | とりわけ俳優へのディレクションに力を入れた作品だろう。ピーター・セラーズとシェリー・ウィンタースの神経に障る演技が見事。スー・リオンは万人を納得させうるロリータ像を生み出せてはいないが、よく健闘している。 [review] | 煽尼采, けにろん, きわ | [投票(3)] |
★4 | ヒア アフター(2010/米) | マイケル・オーウェンズの最高傑作。人々や建造物をことごとく薙ぎ倒し呑み込んでゆく津波がかつてないディザスタ・パニックの光景を呈示する。セシル・ドゥ・フランスが息を吹き返す場面で炎上する船舶を後景に見た仰角カット、地下鉄駅から煙が溢れ上がる俯瞰カットも『鳥』に迫る黙示録的画像である。 [review] | disjunctive, 緑雨, Orpheus, ぽんしゅうほか7 名 | [投票(7)] |
★3 | 小説家を見つけたら(2000/英=米) | ショーン・コネリー、ロブ・ブラウンともに造型の詰めが若干甘く、なかなか映画がドライヴしない。それを「抑制」「落ち着き」「慎み」などと肯定的に云い換えることは難しい。綺麗すぎるきらいはあるものの、ハリス・サヴィデスによる画面の繊細な質感はよい。 [review] | disjunctive, 緑雨 | [投票(2)] |
★3 | あぜ道のダンディ(2011/日) | 吉永淳と西田尚美はよい。どこにでも転がっている話なので共感の度合いも高いだろうが、手癖で撮りすぎてはいないか。じっくりと着想を育てた形跡がなく、演出が上滑りしている。台詞創作能力を過信して語りすぎた箇所も多いが、「機械」「対戦」といった語の連呼に笑いを見出すあたりはやはり目が高い。 | chokobo | [投票(1)] |
★4 | アフリカの女王(1951/英=米) | 「蒸気船」もまたまぎれもなく映画的な乗り物だ。しかしここで「アフリカの女王号」が映画的に使いこなされていたかと(たとえば『周遊する蒸気船』と比較して)考えると、いささか物足りなさを覚える。やはりヒューストンはとても才能のあるユニックな作家だが、決して大天才ではないようだ。 [review] | ぽんしゅう | [投票(1)] |
★4 | 幕末太陽傳(1957/日) | やはりこのフランキー堺は決定的だ。感動的に面白い。堺のアクションとその見せ方の技術的水準の高さは全篇を通じて『小早川家の秋』の中村鴈治郎かくれんぼシーンに匹敵している、とまで云ったら云い過ぎだろうか。多重的な筋を一筆書きのように駆け抜ける話術の冴えも驚異的。 [review] | 3WA.C, ぽんしゅう | [投票(2)] |
★3 | エンター・ザ・ボイド(2009/仏=独=伊) | カメラ・オペレータの甚大な労苦が偲ばれるギャスパー・ノエの『あにいもうと』。大変に無茶苦茶をやっているように見えて、それがほぼ理解の範疇にほどよく収まってしまうのはこれが実験的映画だからである。「実験」とは理性の振舞いのみが存在を許される場にほかならない。きわめて合理的なPOV実験映画。 [review] | DSCH, ぽんしゅう, HW, セント | [投票(4)] |
★4 | マネーボール(2011/米) | マネーもボールもどうでもよい。ブラッド・ピットもひたすらすばらしいが、娘ケリス・ドーシーが“The Show”をギターで弾き語るシーンは衝撃で心臓が止まるほどに美しい。ベネット・ミラーごときに創造できるはずのなかった魔法の時間だ。以降の全シーンは彼女の歌声を映画に呼び戻す召喚の儀式にすぎない。 | 緑雨, シーチキン | [投票(2)] |
★4 | パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン) | 画面は保守的。要するに、画面上の何を見ればよいか画面自体が指定しているということ。云い換えれば、ひとつの画面ではひとつのことしか起こっていないということ。しかし、優れたアクション演出、CGと実写の違和を減ずるように設計された照明、容赦のない語りはそれを補って余りある。 [review] | DSCH, おーい粗茶, 煽尼采, くたーほか7 名 | [投票(7)] |
★3 | ジャージの二人(2008/日) | たとえば「『和小』とは正しくは何と読まれるのか」といった事柄に観客の映画的興味はいっさい向けられていないこと。その程度の「謎」で映画を支えることはできないこと。この演出家はそれらを理解していたのか。積極的に悪い映画ではないが、根本的なところで何か勘違いがあるように思える。 [review] | DSCH, ぽんしゅう, セント | [投票(3)] |