★4 | 交戦直前のエディット・ピアフ流れる戦場、その倦怠と緊張の時間演出。スピルバーグはもう大人の演出家だ。一名の命を救うために八名が命を懸ける―その理不尽を単純な批難や賞賛を込めて撮っていれば済む時代では最早ない。現実の複雑を直にフィルムにうつしながら活劇に殉じる錯誤の様態。スピルバーグは現代の演出家だ。 (3819695) | [投票(4)] |
★3 | 戦争って「仕事」なんだということが伝わってくるのだが、本当だろうか (ジェリー) | [投票(2)] |
★5 | スピルバーグでは「激突」以来の秀作。また初めて感動した。(ずーと嫌になっていたんでちょっとほっとした) トムハンクスが人生を受け止めるいい演技をした。 (セント) | [投票(1)] |
★4 | 生々しく始まり、泣かせて終わる。戦争映画だけど戦争がテーマではありません。なのに戦争描写が唯一誇り高く描かれている。見事だ。究極のモンタージュと言っても良いのではないか。 [review] (chokobo) | [投票(3)] |
★4 | この映画の見所は戦闘シーンではなく。何はともあれ、ライアン二等兵一人のために。なぜ?というこの映画の疑問自体が戦争の、そしてこの映画の不条理な主題。ということは、これを見た観客はライアンが最後にしたように、この映画に対して。。 (ALPACA) | [投票(1)] |
★5 | スピルバーグの最高傑作。 (Cuppy) | [投票] |
★4 | 撃つことよりも、より多く撃たれることで崩れゆく肉体を執拗に見せつけ「痛み」を描き、遠近感を巧みに強調した炸裂音で、方向感覚を麻痺させ有無を言わさぬ被弾の「恐怖」を聴かせる。我々の素直な目と耳は、この凄まじい映画体験で戦闘を実感したと錯覚する。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(5)] |
★3 | 確かにリアルな戦争映画になってるかもしれないが、
基本になっている話の設定に無理があるし、目を開けてみられなかったシーンが多かったので残念なところ。
(ぱんな) | [投票] |
★5 | この作品を観ていると、スピルバーグは一種のブラックジョークを作ろうとしていたんじゃないか?などと考えてしまいます。 [review] (甘崎庵) | [投票(2)] |
★2 | 最初の上陸作戦のシーンは普通の人には酷な映像だ。見慣れている者でもおぞましいと感じる。基本的に戦争映画は評価が下がる。 (RED DANCER) | [投票(1)] |
★4 | スピルバーグも「テーマ」などという映画の虚構を設定しなければ、こんなにイイ映画撮れるのに…。 (カズ山さん) | [投票] |
★2 | この映画がワカラナイ・・・感動のポイントもワカラナイ [review] (ボイス母) | [投票(7)] |
★4 | マジで観てる自分まで撃たれるかと思った。 (TOMIMORI) | [投票(1)] |
★4 | 敵への配慮に欠けているので、単に戦闘シーンを必要以上に生々しく撮りたかっただけ、と思われてしまうのも仕方ない。 (G31) | [投票] |
★4 | ストーリーにはほとんど興味が持てず、ただただ描写の凄まじさに圧倒された。しかし、せめてあと30分ぐらい短くならなかったものだろうか・・・。短縮版も作ってほしいです。 (太陽と戦慄) | [投票(1)] |
★4 | 仮想現実の如き戦闘シーン、視点の不在、この映画を‘いい映画‘と言う奴が全くわからない。恐ろしく変な映画。怖くない?だって。 (青木富夫) | [投票(1)] |
★2 | 戦闘を「再現」することに優れた人間は、戦争を「語る」ことに長けていないと、ヒジョーに危険だってことを、いま一度確認すべきかと思われる。 [review] (くたー) | [投票(19)] |
★4 | 冒頭とラストの言い訳がましい適当さは自身の『宇宙戦争』と並ぶ。どこまでも己の欲望に忠実なスピルバーグは、戦争を題材に色々なジャンル映画を撮ってみたかっただけなのだろう。その狙いは十分に達成されていると思う。改めて鑑賞して最も気に入ったのは、兄弟の死の報せを母親が受け取るサイレント調の場面だ。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | ただ、ひたすら「凄い」 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(5)] |
★4 | 最初に観たときは、オマハ・ビーチの強烈な印象しか残らなかったけど [review] (緑雨) | [投票] |
★5 | 『列車の到着』から100年。俺もスクリーン内の上陸艇内で跳弾に身を退いた。未体験の臨場感。黒澤へのオマージュでは済まない剽窃の終盤を割り引いても戦闘シーンの劇場体験はは激賞するしかない。そして、中盤のダレ場の味わいも案外棄てがたい。 (けにろん) | [投票(4)] |
★5 | たった一人のために大勢を犠牲にする矛盾を嘆き、それを強いる国家に憤怒しながら、でも、一方で、そうして救われた命の重みを、人は、否定することができない。「私は良く生きただろうか」臨終が近づけば、多分、自分も自問するだろう。良く生きたいと願う。 (kiona) | [投票(1)] |