★2 | 鍵(1974/日) | 時代の背景を伴わない低予算密室劇では映画文体の拡張力は抑止されテーマのみが抽出されるが、マゾヒシズムが性的衝動を喚起するというだけでは解りやすいものの今更なのだ。どうにもな時代錯誤感が横溢しじめついて全然面白くない。諧謔がないともたない。 | [投票] |
★2 | 飛ぶ夢をしばらく見ない(1990/日) | 石田えりがミスキャストと言う以前に、これは相当なメイクアップ技術を前提に企画されなければならなかったものの筈である。安易な企画と妥協は、こうも惨憺たる結果を招くということだ。山田太一の自らを晒した切なる思いにこそご愁傷様と言いたい。 | [投票] |
★5 | キューポラのある街(1962/日) | 左寄りで教条的な世界だが、無関係に弾けまくる少年少女の確信的な瞳の一途さの前では思想など何をか言わんやなのだ。今村流喰えなさの児童映画への理想的投影であり、受けた浦山も堅実。そして、全少年の姉貴願望を焚きつけた小百合のオーラ。 | [投票(1)] |
★3 | ゆがんだ月(1959/日) | 寸分の肩入れできぬ振子野郎だとしても長門の切迫表現が三下の悲哀を伴い反感を緩衝する。陰から気障に口笛でビビらせる割には正々堂々の決闘申し込みの少年漫画世界だが陰調を反転させる寸前で踏み止まる。南田の心根が漂うままなのがせめての良心。 | [投票(1)] |
★3 | 戦争と人間 第1部・運命の序曲(1970/日) | 同じ五味川原作でも東宝色強い『人間の條件』が文芸調なら日活のこれは講談。ハッタリ親爺薩夫節も新劇系の伍代ファミリーにはフィットしてもルリ子や英樹や裕次郎の明朗さとは合わない。大陸浪人の三國は突出した怪演。 | [投票(2)] |
★3 | 赤い殺意(1964/日) | 単なる痴情話で終わらせまいとしてポジ『昆虫記』のネガと対置し日本論的な風土や因習を加味して物語的な強度は拡散した。暗鬱な東北の風土の中で描かれる図太く強かな女のバイタリティは春川ますみの木偶のような受動性に吸引され女性論へ昇華し損ねる。 | [投票(1)] |
★3 | 危いことなら銭になる(1962/日) | 安藤の色彩設計に姫田の撮影というビジュアル面は過不足あろう筈なく中平演出もポイントを押さえるケレンがあるが、バディムービーを志向したと思しき人物配置はルリ子を除いて役不足。土台脚本がショボすぎるのだ。 | [投票(2)] |
★2 | 戦争と人間 第2部・愛と悲しみの山河(1971/日) | 軍閥伍代家の悪の枢軸たる面々は後方に退き、良心派の人々の幾つもの「愛」のみに焦点を当て、それが又ステロタイプで且つ素通り的にしか描かれない。表層的に描かれる歴史事変は彼等を翻弄する機能しか持ち得ない。完全な中だるみ。 | [投票(1)] |
★3 | 戦争と人間 第3部・完結編(1973/日) | 三部作の中では一応見所が多い。ノモンハン事件の再現は必要だったのだろうし、当時の日活が成し得る最大限のスケールであったのだろうにしても、つまらない。終末へ向かっての激動の中、夏純子扮する中国人少女の生命力が一縷の希望と映った。 | [投票(1)] |
★3 | 「エロ事師たち」より 人類学入門(1966/日) | 坂本スミ子が予想外に今村的ミューズを体現して感動的だが、一方、小沢スブやんの諦観は今一修羅場を潜ってるとも見えず遂に胸に迫ることはなかった。そして、悩める男の再生譚は後年の『うなぎ』にて焼き直されるわけだ。 | [投票(3)] |
★3 | 日本列島(1965/日) | 壮大な国際的謀略を孕む前半から後半になるにつれ馬脚が現れどこかスケールダウン。対象が見えぬ怨嗟は虚空に消える。何かと言えば米軍機を象徴的に飛ばせるのも1,2回ならともかくやりすぎで芸もない。日本側情報機関のフィクサー大滝が不気味に好演。 | [投票(1)] |
★3 | 野性の証明(1978/日) | ひろ子にガン無視されて不憫でさえある健さんだが斧振り回し脳天叩き割る蛮性と寡黙な礼節とのアンビバレンツが笑える。自衛隊特殊部隊と地方都市のフィクサーと予知能力を持つ少女…出鱈目で過剰で魅力的な設定だが全てが茶番めいてるのが凄すぎる。 | [投票(3)] |
★2 | 少女娼婦 けものみち(1980/日) | 少女が男を乗り変えるに際してのスッタモンダを持って回った観念劇エッセンスで修飾して可愛げが無い。加えて、母親との関係描写がでてくると益々何が何だか解んない世界で、煙に巻く寺山なら未だしも神代では見てられない。虚無的な内田は良い。 | [投票] |
★5 | にあんちゃん(1959/日) | 少年は自我と親愛の狭間で悩んだりしない。前進あるのみで真摯であり、しかも当たり前の如く情愛も持ち合わせている。こういう自立し行く世代の芽生えは何時の間に摘み取られてしまったのだろうか。後の今村一家総出の脇役陣も充実。 | [投票(2)] |
★3 | 四畳半襖の裏張り(1973/日) | 宮下と江角の密室でのからみは圧倒的ではあるが、一方で粟津の挿話が全然面白くない。大正の世相をスチールで挿入した近代史観へのアプローチは上滑りで何の感慨も覚えなかった。絵沢にどやされてピーヒョロと自己研鑽する明香が笑える。 | [投票] |
★3 | 一条さゆり 濡れた欲情(1972/日) | 図太い女の成り上がり列伝めいてるのがどうにも川島・今村映画みたいでオリジナリティがあまり感じられない。女優賞を総なめした伊佐山を圧倒する一条さゆりの風格はほんまもんでその点では感銘。脇にまわった白川がこれ又絶品の味わい。 | [投票(2)] |
★4 | 青春の蹉跌(1974/日) | ドラマトゥルギーに興味ない監督・脚本・主演が揃って原作の枠組は融解し、残滓も形骸の誹りを免れない。しかし、どこまで本気か知れぬ浮ついた2人が雪山でじゃれ合い道行の体をなすあたり神代の真骨頂。雑木の洞に収まるかおりは地蔵菩薩のよう。 | [投票(2)] |
★5 | 復讐するは我にあり(1979/日) | 噴火寸前のマグマを押し隠した如き交わす視線の腹芸合戦を堪能する映画で主演5人の組み合わせバリエーションが堪らん。浜松シークェンス導入の手持ちカメラのライブ感を筆頭に姫田撮影はノリまくり、ワンカットの時空跳躍など今村演出は自在で応変。 | [投票(2)] |
★3 | 豚と軍艦(1961/日) | 豚の大群とマシンガンが全ての汚濁を無に帰するというクライマックスありきで、そこに至るあれやこれやが喜劇というには重くシリアスには役者陣も戯画的に過ぎる。ヒロイン吉村実子も風穴を開ける清風を纏うには内実が強すぎ。強弱の統御が足りないのだ。 | [投票(2)] |
★5 | にっぽん昆虫記(1963/日) | 膨大な情報量を内包しつつ小細工無しのリアリズムなアプローチで背景が醸し出される巨視感。こういう丁寧な労力でしか本物は産み出されない。あざといとも言える近代史の点描の中を始原的なストップモーションと短歌の反復を携え左幸子は駆け抜ける。 | [投票(1)] |
★3 | ええじゃないか(1981/日) | 空前のスケールに於き今村一世一代の大勝負だが見事に外した。騒乱に収斂されていく多様な人間群像が余りに図式的。大オープンセットも象も「それふけ小屋」も姫田とは思えぬ平板さ。役者は総花的だが意外性も無い。唯一露口茂だけ矢鱈恰好いい。 | [投票(4)] |