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3819695さんの人気コメント: 更新順(64/72)

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★4我が道を往く(1944/米)大好きな映画。これほど臆面もなく人間の善良さが描かれていながら、そして物語の中にトラブルを発生させる仕方に作為の跡が目立つにもかかわらず、それらがまったく鼻につかないというのはあるいはキャプラ以上かもしれない演出技量のためだ。気取りがない。衒いがない。だから笑える。だから美しい。 [review]shiono, ゑぎ[投票(2)]
★3アリスの恋(1974/米)醜悪とは云わないまでも、あまり気持ちのよい演出ではない。それはスコセッシの美点としての「居心地の悪さ」ともまた別種のものだ。歌手志望の中年女と爆音でレコードを聴くギター少年を主人公に据え、『オズの魔法使』なオープニングを持つ映画としては「音楽」の扱いも中途半端。 [review]けにろん[投票(1)]
★3時をかける少女(1983/日)作りが刹那的すぎる。音楽に頼りきったムード醸成にしゃらくさい画像処理。少しぐらい普遍性への志向というか時代を越える作品にしようという意思があってもよいのではなかろうか。しかしそれを救うのはこれもまた刹那的に可憐な原田知世だ。照明操作は基本的に不味いが、薬品の気体はよく撮れている。 [review]ゑぎ[投票(1)]
★4サーカス(1928/米)スラップスティック・コメディの出来としてはチャップリン作品でも最高の部類に入る。視覚的な面白さという点では鏡の部屋のシーンが出色だが、綱渡りに猿を絡ませるという着想も秀でている。ギャグ満載の人情噺が迎える結末はお約束と云えばお約束だが、そのラストショットの決まりっぷりには思わず震えてしまう。チー[投票(1)]
★3ピースメーカー(1997/米)ニコール・キッドマンの初登場が「水着姿」というのはまだしも、続けての「濡れ髪にスーツ」というフェティシズム炸裂はさすがに女性監督離れしている。むろん誉め言葉である。列車・自動車・ヘリコなど乗り物を使ったアクション演出も力強く頼もしいが、力の抜きどころを分かっていない。面白いが、疲れる。けにろん[投票(1)]
★4接吻 Seppun(2006/日)小池栄子豊川悦司仲村トオルの「顔」/「声」をどのように撮るか/録るか、あるいは、どのような「顔」/「声」を撮るか/録るか。それだけで映画が成立してしまっている。これほど被写体=俳優を繊細かつ残酷に扱った映画はそうない。そして抑制と過剰を並存させた演出が接吻アクションに甚大な破壊力をもたらす。恐るべし。緑雨[投票(1)]
★3ぜんぶ、フィデルのせい(2006/伊=仏)これが文字通り「子供の視点」による映画であることを鑑みてもなお、このフレーミングやカッティングには違和感を覚えずにいられない。またシーン間でどれほどの時間が経過したのかも判然と示せていない。要するにヘタな映画なのだが、そんなことどうでもよいのだ、と思わしめる力も持っている。 [review]moot[投票(1)]
★4サイン(2002/米)幼稚さ。幼稚さゆえの「面白さ」に対する忠誠。古典の「子供」たる自覚。プロデューサーとしての有能さ。シャマランスピルバーグの歳の離れた弟だ。「真顔でギャグをかます」感覚も「笑い」において本質的かつますます現代的である。勿体ぶった薬局シーンの無意味ぶりが白眉。 [review]Lostie[投票(1)]
★4ランボー 最後の戦場(2008/米=独)とんでもない映画だ。スタローンはここで暴力の極北に到達した。それが「よい」ことかどうかは分からない。しかし弾薬の物量だけでは決して成しえないことであるのは確かだ。私にはこの映画を冷静に受け止めることはちょっとできない。過剰な「雨」と「泥」の不快感。発煙筒が吹く赤紫の「煙」の禍々しさ。 [review]緑雨, けにろん, ナム太郎, ハムほか7 名[投票(7)]
★4マディソン郡の橋(1995/米)ラジオや電話といったオン・スクリーンの音源を用いてロマンスと日常生活をスウィッチングする演出の徹底性。壮絶な「雨」と「風」。ここで壮絶とは雨量や風量を指しているのではなく、心象表現としての強度のこと。さらにはメリル・ストリープとテール・ランプの「切り返し」までもが! 感情のひだはこのようにして映画化されるのだ。ガチャピン, 煽尼采, ナム太郎, 緑雨ほか5 名[投票(5)]
★5駅馬車(1939/米)世界最高水準の見事な空間演出。『バルカン超特急』を「最高の列車映画」と云うのと同様の意味で、「『駅馬車』は最高の駅馬車映画である」と云うことができる。 [review]moot, づん, ぽんしゅう, 緑雨[投票(4)]
★3ノン子36歳(家事手伝い)(2008/日)「自転車」と「ヒヨコ」という素敵アイデアが出た時点でこの映画の面白さは決まりなのだが、「音」の設計(音の有無/変化)に主題的に取り組んだ聴覚的な映画でもある。音を巻き散らして移動する坂井真紀(履物・自転車)。冷房の作動音。土鳩の鳴き声からヒヨコの鳴き声へ。祭りの喧騒、を打ち消すチェインソーの轟き。ペペロンチーノ[投票(1)]
★4モダン・ミリー(1967/米)幸せな映画だ。ことごとく慎みを欠いた演出にはうんざりもするのだが、それを正当化するだけの楽しさ・可愛らしさ・馬鹿馬鹿しさに溢れている。ラッセル・メティの切り取る画面にもやはり慎みという言葉は当てはまらないが、美しい。 [review][投票(1)]
★3ファーストフード・ネイション(2006/英=米)いろいろと問題はあるが、ひとつはっきり云えるのは、音楽の使い方に関してはもっとストイックになったほうがよいということ。たとえば牛解体シーンは明らかに現実音のみか無音で処理するべきだったろう。だが、やたら豪華な俳優陣はやはりそれなりに楽しませてくれる。アヴリル・ラヴィーンとかいう人にしても悪くない。 [review]ナッシュ13, MM[投票(2)]
★4イースタン・プロミス(2007/英=カナダ=米)いまだに「変態映画作家」のレッテルを貼られがちのクローネンバーグが獲得したクラシカルかつリッチな佇まいおよびその凄みを存分に感受せよ。この色彩の深み。アルマーニのスーツとサングラスを決めたヴィゴ・モーテンセンの格好よさ。ここで「格好よさ」とは純粋に見た目について。本当に、完璧に、格好よい。 [review]Lostie, クワドラAS[投票(2)]
★3アメリカン・グラフィティ(1973/米)延々と流されつづけるロックンロール・クラシックが一九七三年当時どの程度ノスタルジアを喚起する装置として機能しえたのかは知らないが、意地悪く云えば、そのような音楽の使い方がすでにルーカスの演出家としての志の低さとヒットメイカー/ビジネスマンとしての計算高さを物語っている。 [review]煽尼采, けにろん[投票(2)]
★4石の微笑(2004/仏=独)「技術の否定」のごとく語られもするヌーヴェルヴァーグ。しかし結局それはすぐれて技術的資質に富む者たちの運動であったということが、この映画を見ると思い知らされる。シャブロルによる映画的技術の博覧会。カメラワークひとつを取っても洗練された「普通さ」の内に不可解なまでの「狂暴さ」が秘められている。kaki[投票(1)]
★5キートンの大列車追跡(1926/米)傑作中の傑作。キートン自身のアクションの過剰さという点では『セブンチャンス』をはじめもっと他に優れた作品があるだろうが、「列車」をお題にしてとめどなく繰り出されるギャグの数々には、思わず「史上最高の列車映画!」などと無責任な言葉を口走らせる力がある。 [review]づん[投票(1)]
★3バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(1989/米)観客の記憶に頼る映画。 [review]ダリア, CRIMSON[投票(2)]
★3のらくら(1921/米)せっかくチャップリンが上流階級と入れ替わるのだから、もっといろいろ無茶苦茶をやってほしかったというのは決して贅沢な望みではないだろう。鎧の人はけっこう頑張っているが。床に倒されたチャップリンと倒した男の俯瞰・仰角の切り返しにハッとする。死ぬまでシネマ[投票(1)]