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黒澤明の映画ファンのコメント

天国と地獄(1963/日) 生きる(1952/日) 生きる LIVING(2022/英=日) 醜聞(1950/日) どん底(1957/日) 野良犬(1949/日) 暴走機関車(1985/米) マグニフィセント・セブン(2016/米) 殺陣師段平(1962/日) 一番美しく(1944/日) 姿三四郎(1965/日) 戦国群盗伝(1959/日) 戦国無頼(1952/日) 生きものの記録(1955/日) 蜘蛛巣城(1957/日) 馬(1941/日) わが青春に悔なし(1946/日) ジャコ萬と鉄(1949/日) 荒野の用心棒(1964/伊=独=スペイン) Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク(2022/日) 姿三四郎(1943/日) AK ドキュメント黒澤明(1985/仏=日) 荒木又右エ門 決闘鍵屋の辻(1952/日) 白痴(1951/日) 用心棒(1961/日) 八月の狂詩曲(1991/日) 銀嶺の果て(1947/日) 消えた中隊(1955/日) あすなろ物語(1955/日) 羅生門(1950/日) どら平太(2000/日) 悪い奴ほどよく眠る(1960/日) 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS(2008/日) 椿三十郎(2007/日) 荒野の七人(1960/米) 影武者(1980/日) 素晴らしき日曜日(1947/日) 椿三十郎(1962/日) ジャコ萬と鉄(1964/日) 明日を創る人々(1946/日) 隠し砦の三悪人(1958/日) 四つの恋の物語(1947/日) まあだだよ(1993/日) 赤ひげ(1965/日) 暁の脱走(1950/日) 酔いどれ天使(1948/日) 虎の尾を踏む男達(1945/日) 静かなる決闘(1949/日) 海は見ていた(2002/日) デルス・ウザーラ(1975/露) 雨あがる(1999/日) 土俵祭(1944/日) 續姿三四郎(1945/日) 殺陣師段平(1950/日) 乱(1985/日) 七人の侍(1954/日) 吹けよ春風(1953/日) 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957/日) ラストマン・スタンディング(1996/米) 暴行(1963/米) 獣の宿(1951/日) 夢(1990/日) どですかでん(1970/日) 野良犬(1973/日)が好きな人ファンを表示する

ぽんしゅうのコメント************

★5天国と地獄(1963/日)追いつめられる男達の映画。権藤は権力争いと倫理観に、運転手・青木は主従関係と恩義に、戸倉警部は正義感と権藤の立場に、犯人は大きな傷と世論に・・・切迫感の波紋と伝染。[投票(11)]
★4生きる(1952/日)個人と組織。三人集まれば組織は出来上がる。そして組織はお互いの個を殺し合いながら増殖し活力を増す。結局この問題は自分が独りにならない限り解決できないのです。[投票(5)]
★2醜聞(1950/日)画家と声楽家を原告に置くことによりことさら芸術家=純粋が強調され、弁護士(志村喬)と原告(三船敏朗)や被告(小沢栄太郎)、さらに弁護士と娘の関係に生身の人間臭さが感じられないため、この作品のヒューマニズムは浮ついて見える。[投票(2)]
★3どん底(1957/日)トンチキと念仏。インテリの影を引きずる毒舌遊び人三井弘次と、柔和さの裏に地獄の凄味を漂わせる左卜全。正義の不実を察して世を捨てたニヒリストと、嘘ででも現状を容認するヒューマニストは最後まで交わらない。まわりの不逞どものテンションも圧巻。[投票(4)]
★4野良犬(1949/日)執拗に描き込まれる暑気は、善悪入り乱れ、いまだ終戦の行く末定まらぬなか、ひたすら明日を生き抜く人々が発する熱気の総体でもある。うだるような暑気のなか、白い背広姿をくずさぬ若き刑事(三船)の頑なさは、軍隊帰りの青年が未来を希求する強さの証なのだ。[投票(2)]
★3暴走機関車(1985/米)暴走する機関車の屋根に仁王立ちしたマオニー(ジョン・ヴォイト)の姿から哀愁のようなものが漂うのは、刑務所長(ジョン・P・ライアン)との確執が、互いの存在を賭けた相互依存にまで発展していたからだ。この依存は偏愛というひとつの愛でもある。[投票(2)]
★3マグニフィセント・セブン(2016/米)せっかく取り揃えた人種の面白さが活かしきれていると言えずもったいない。もっと丁寧に、それぞれの見せ場を「らしく」作り込んでこそ“今ならでは”のアイディアでは。あと、E・バーンスタインやるなら、もっと早くに仕掛けた方が全然ノリが違っていたのに。[投票(2)]
★3殺陣師段平(1962/日)ひとりではしゃいでいるという観もなくはない中村鴈治郎、インテリを地で演じているような市川雷蔵、素人臭い高田美和。それでも、何故か好感が持てる佳作。黒澤明脚本と大衆作家瑞穂春海監督の技あり。[投票(1)]
★4一番美しく(1944/日)責任と勤勉をテーマとした青春映画である。とういことは、当時の国策がいかにあろうと矢口陽子演じる少女の毅然たる振る舞いが、時代という束縛から自立した誰にも不可侵な領域に属するは当然なのだ。この作品で黒澤が提示した美しさとはそうゆうことだ。[投票]
★2戦国無頼(1952/日)野卑な戦国物語の体を装いながら、何のことはない三人の「戦(いくさ)馬鹿」をめぐる女二人のすれ違いメロドラマ。となると男どもより女がポイントなのだが、奮闘する山口淑子のやんちゃに対抗するはずの浅茅しのぶの可憐さが足りずどうも座りが悪い。[投票]
★2生きものの記録(1955/日)まじめな映画だと思うがつまらない。大仰なタイトルを冠したわりには、喜一(三船敏郎)の恐怖心が一向に共有できず始めから終わりまでもどかしさがつきまとう。それは、核兵器が何故恐ろしいかという本当の理由に、黒澤が触れていないからだろう。 [review][投票(2)]
★4蜘蛛巣城(1957/日)戦場、砦、城内、居室、どれを取っても切り取られた空間は、カメラのフレームを忘れてしまうほど広く奥が深い。その異界からの眺めを彷彿とさせる視点の導入で、鷲津武時の人間的矮小さがきわだつ。山田五十鈴の怪演には言葉を失う。[投票(6)]
★2わが青春に悔なし(1946/日)無骨で無遠慮なプロパガンダ映画。あまりにも全てが正直すぎて退屈。[投票]
★3ジャコ萬と鉄(1949/日)終戦直後。死んだと思った二人が亡霊のように現れる。本当の亡霊は前世代をひきずる進藤英太郎。当人達も気付かない新旧の価値観の錯綜がおもしろい。新しい時代・戦後の始まり。[投票]
★2荒野の用心棒(1964/伊=独=スペイン)元ネタ作品の面白さは、武骨な主人公が図々しさと知恵で話を牽引するところ。このイーストウッドのキャラには工夫がなく、知的さもずる賢さも感じない。だから展開の数奇さの洗練度が低くいのだ。だから心理劇の爽快さがなく、活劇としても中途半端で退屈。[投票]
★4姿三四郎(1943/日)決闘シーンの何と力強く美しいこと。冒頭の闇討ちには、濠端の矢野を支点とした扇型上の乱舞が準備され、中盤の村井との対決ではフレームアウトの多様により密閉空間での緩急が強調され、最後の檜垣との決闘は開放空間での果てしない風雲が不穏を呼ぶ。 [review][投票(3)]
★3荒木又右エ門 決闘鍵屋の辻(1952/日)又右衛門(三船敏郎)と甚左衛門(志村喬)の交感にいまひとつ情が足りず、六助(加東大介)や数馬(片山明彦)らのリアル風(?)演技と、「いかにも三船」な泰然自若ぶりにギャップを感じる。黒澤脚本らしい理屈っぽさが未消化なプチ黒澤映画。[投票]
★4白痴(1951/日)清心と欲望の境界が消え、思いやりと疑心がせめぎ合う。森の目はブラックホールのように三船の嫉妬を飲み込み、「睨み」と「そらし」が交錯する原と久我の対峙は文字通り(ストーブの)炎となって炸裂する。人の業が発散するエネルギーを「目」に凝縮させる力技。[投票(2)]
★3用心棒(1961/日)顔が凄いです。画面の真中に出ている人から後ろや隅っこにいる人までみんな。万が一私のように途中で話にあきても、それだけで最後まで楽しめます。[投票(4)]
★3八月の狂詩曲(1991/日)対米感情や、世代間の意識格差の描かれ方が薄っぺらく見えてしまうのは、脚本の構成や台詞がいささか教条的に過ぎるうえ、黒澤の過信とも思える驚くほど古臭い演出手法が時おり顔を出すからだろう。言いたいことは分からんでもないが話しがまどろっこしい。[投票(1)]
★4銀嶺の果て(1947/日)見え見えのパターンを志村、三船、河野の好演が救う。谷口千吉監督だから黒澤の濃い脚本も臭くならずにすんだ。ちょっとイイ作品。[投票(3)]
★5羅生門(1950/日)淀川長治さんは「らじょうもん」って言ってませんでした?・・・エッ、それがどうしたって?いや、いや、別に文句無いですよ・・・もちろん5点、ちゃんと5点ですよ。[投票(4)]
★2どら平太(2000/日)この脚本は「四騎の会」の象徴として成されたものであって、映画化などするために書かれたものではなかったのだろう。でなければ、内容のひどさの説明がつかない。人から請われてか、自ら進んでか、それを一所懸命撮ってしまう市川崑て本当に人がいい。[投票(1)]
★3悪い奴ほどよく眠る(1960/日)起こるべくして起きた消化不良。展開の説明に終始する脚本の失敗は、黒澤の力技を持ってしても言い訳の連続にしか見えず、復讐者にも役人達にも心動かず、副総裁のバカ息子・ウブ娘は滑稽ですらある。[投票(6)]
★4椿三十郎(2007/日)三船、仲代の個性に匹敵する者などいるはずもなく、織田(三十郎)の豪放さが薄っぺらく豊川(半兵衛)に殺気が足りぬという批判は端から自明のことで誰が演じても同じ。むしろ若侍らの「今どき」化で、弱点の相対的バランスをとった森田のセンスを評価する。 [review][投票(11)]
★4荒野の七人(1960/米)極上の娯楽作品に理屈はいらない。・・・ジェームス・コバーンの登場シーン。蒸気機関車をバックにした挑発者との距離感や間の取りかたが絶妙で最高にカッコイイ。[投票(6)]
★3影武者(1980/日)スケールにこだわったせいか、末期のハリウッド・スペクタクル映画程度の面白さしか無い。それで充分と言われないところが“巨匠”のつらいところ。[投票(2)]
★3素晴らしき日曜日(1947/日)戦後の混乱と困窮の中でこのカップルに託した積極性は、日本が復興をとげた25年後の『どですかでん』で描かれる浮浪者親子の諦観と両極で対峙している。終戦直後に見た夢は、現実として実ることはなかったのか・・・黒澤の技ではなく精神性が見える映画。[投票(1)]
★4椿三十郎(1962/日)黒澤作品群の中でアクション喜劇として異彩を放つ。若侍連、奥方親子、捕虜侍、悪巧み三人組、城代家老らの、生真面目さや自然体が生み出す可笑しさの中に配置された三十郎と半兵衛の突出が爽快でもあり、哀れでもある。作れそうで作れないハードコメディ。[投票(2)]
★3ジャコ萬と鉄(1964/日)谷口千吉版にみられた価値感の対立といったインテリ臭さは消えうせて、深作版はまさに男どもの無骨な意地と欲が対立する肉体臭い仕上がり。高倉、丹波、山形の豪快と、高千穂、南田の強情と、大坂、浦辺の優しさがテンポよくからみ理屈ぬきの楽しさ。 [投票(2)]
★2隠し砦の三悪人(1958/日)さして中身の無い間延びした話が最後まで延々と続く。やっと関所を越えたころ多少の見せ場はあるものの、のびきったラーメンのチャーシュー程度の救い。[投票(3)]
★2まあだだよ(1993/日)「いいか!お前ら。尊敬とはこうやってカタチにして表すものだ。もっと俺にもかまってくれよ!」という、黒澤の悲痛な思いが映画から滲み出している。老いて渋く枯れることもなく、過ぎた栄光に浸るシワだらけの幼児。やだやだ。こんなジジイにはなりたくない![投票(1)]
★3赤ひげ(1965/日)逸話がどれもヒューマニズムを説かんが為のカタチありきで、凝りに凝った細部の演出が逆に、上辺のボロ隠し的な過剰装飾にみえてしまい、臭い。「保本(加山)、お前必ず後悔するぞ」の、赤ひげの一言に黒澤が決して現実を甘くみていないことは理解できるのだが。[投票(2)]
★2暁の脱走(1950/日)ずいぶん金と手間をかけた新東宝渾身の骨太反戦大作の体をしながら、何のことはないベタベタの通俗メロドラマ。春美(山口淑子)の無節操とも思える欲情ぶりが突出し、軍規と上官の横暴と性欲の狭間で悶々と苦悩する三上(池部良)が気の毒になってくる。 [投票]
★4酔いどれ天使(1948/日)敗戦の混乱期に「理性!理性!」と叫びたくなる気持ちは分からぬではないが、理性だけでは割り切れないのが人間の面白さであり魅力なのでは。志村と三船の歌舞伎と見まがう力まかせの熱演が、リアルな舞台背景から浮きまくり、気分はおいてけぼり。[投票(3)]
★3虎の尾を踏む男達(1945/日)榎本健一のコント芝居と大河内伝次郎の大時代芝居。衝突するふたつの個性を黒澤明がしっかりと受け止め、その常連俳優達がにらみをきかせる。狭いセット撮影でもダイナミックな躍動が伝わってくる、まぎれもない黒澤映画。[投票(3)]
★3静かなる決闘(1949/日)昭和29年、日本人が大なり小なり“不幸”を背負っていた時代。わが身を奮い立たせて前進するためには生真面目な勇気と誠実さがきっと必要だったのだろう。千石規子さん演じる見習い看護婦。その不器用な愛情表現と生きかたに共感。[投票(3)]
★2海は見ていた(2002/日)先はもう海しかないというドン詰まりの河口の三流女郎屋という設定が重要で、街に充満する空気の重さや、吹き溜まった女(清水、遠野)たちの哀感、流れ着く男(吉岡、永瀬、奥田)たちの焦燥が滲んでこその人間ドラマのはず。石橋蓮司の枯れた色気ががいい。[投票]
★3雨あがる(1999/日)勿論、黒澤へのオマージュはかまわないのだが、監督デビューとしての小泉堯史の矜持はどこにあるのだろうか。巨匠の演出を巧みにトレースしたところで本家に敵うはずもなく、登場人物がみんな躍動せず、こじんまりとしているのは物真似ゆえの萎縮ともとれる。[投票(2)]
★4續姿三四郎(1945/日)前作が青春アクション劇なら、続編は細やかな心理描写で悩める武道家の心を描く青春成長劇。反米描写を織り交ぜて戦意昂揚と見せかけながら、「強いだけで良いのか、本当の強さとは何か」と悩む三四郎の問いに黒澤明の当局への抵抗と批判が垣間見える。 [投票]
★3乱(1985/日)圧倒的なスケール感のもと、人物を名称や色彩によって記号化し、人間の欲や業を視覚的にあぶり出すという企てだろうが、その物量は時代遅れのハリウッド大作のようで古臭い。終盤の「神も仏も」の迷解説も老いてますます説教臭い。救いは原田美枝子と井川比佐志。[投票(2)]
★4七人の侍(1954/日)昭和29年。経済復興にエンジンがかかり始めた日本。必要だったのは貧しいながらも生産する者としての自信、そして武士道的プライド(あくまでも食うための、だけれど)。これは復興昂揚プロパガンダ・・・などと書くのが恥ずかしくなるぐらい面白いのです。 [投票(4)]
★3夢(1990/日)幽玄の趣を漂わせる「日照り雨」や「桃畑」の格調の高さから、「雪あらし」「トンネル」と異界が日常に接近するにつれ話しが俗っぽくなり始め、「赤冨士」「鬼哭」の没世界観にいたっては理屈が先行し、大仰な画作りと内容の齟齬は漫画的陳腐さすら漂わせ退屈。 [投票(1)]
★4どですかでん(1970/日)どん底』から13年。地の底に吹き溜まった貧民屈は、電車が走るまでの空間の広がりを得て、視点は「交わらない思想への諦観」から「孤立する個に向けられる慈愛」へと変化する。70年前後のサイケデリック感を黒澤が料理するとこうなるのだろう。好きな作品です。[投票(2)]
★2野良犬(1973/日)若い刑事の焦燥や、老刑事の悲哀などどうでもよく、本当に森崎が描きたかったのは「沖縄」なのだから端から黒澤「野良犬」などと相容れるはずもない。準備された犯行の動機も理屈っぽく類型的で説得力なし。人が死んでいるのに大ごとに見えずサスペンス感もゼロ。[投票]