[コメント] ロード・オブ・ザ・リング(2001/米=ニュージーランド)
◆オレはトールキンの原作のファンで、ピーター・ジャクソンのファンでもあります。この映画について書きたいことはいくらでもあるけれど(いや本当にいくらでも書けます)、この映画を観てはっきりと判った、たったひとつのことだけを書きます。それにしては長いですが。◆
ありもしないものを現実感をもって描きだすということは、簡単なことではない。まして映画の中で一つの異世界をつくりだすことは、困難を極める。
ひとつ例を挙げて、出来の悪いダメ怪獣映画を考えてみましょう。そのダメ怪獣映画では、「街に立つ巨大怪獣」の画が「ミニチュアの街のセットに、怪獣の着ぐるみが立っている」ようにしか見えないとしたらどうだろうか。巨大な怪獣が街に立つ画と、着ぐるみがミニチュアセットに立つ画は、上っ面はかなり似ていても意味はまったく違ってくる。
映画の作り手は、映画の中の世界を強く信じなければならない。作り手の頭の中に巨大な怪獣が存在して生きていなければ、映画の中に巨大な怪獣が存在できるわけがない。しかし悲しいかな、巨大怪獣の存在を頭の中で信じ続けることは難しい。監督の身になって考えれば判る。撮影中は毎日毎日スタジオの中で着ぐるみの怪獣を動かし、着ぐるみの中に入る役者に指示を出し、限られたスケジュールの中でミニチュアをいかに壊していくかで頭を悩ませる。現実に目の前にあるのは着ぐるみとミニチュアセットだ。その現実に、頭の中にあった筈のリアルで壮大なビジョンは負けはじめ、薄れてゆく。もう着ぐるみは着ぐるみに、ミニチュアはミニチュアにしか見えなくなってくる。
着ぐるみが突っ立っているだけの残念な怪獣映画は、こうして出来上がる。ま、こういうのはよくある話です。
現実に存在しないひとつの世界を作ることに本気であろうとすれば、朝も昼も夜も世界(指輪物語なら中つ国)のことを考えねばならない。自分の人生を犠牲にしてでも、中つ国の時間を生きねばならない。なぜなら我々が生きている現実世界に、中つ国など存在しないからだ。その現実の中で中つ国の存在をかたくなに信じ、頭の中にしか存在しない中つ国を描くためにためらいなく現実を捻じ曲げてゆく。作り手の心が弱きに流れれば、現実は容赦なく空想の中の中つ国を侵食してくる。この難事を行うには、計り知れないほどの強い意志の力が必要だ。そしてピーター・ジャクソンは本気で人生を賭け、それをやった。
そんなことは、できあがった画面を見ればわかる。彼はやった。疑いようもないほど、徹底してやってのけたんだ。
特撮だ製作費だCGだと、そんなことは一切関係ない。技術や金は、道具にすぎない。そんなことで世界は作れない。例に出して申し訳ないけど、例えばオレが非常にガッカリしたティム・バートンの『PLANET OF THE APES/猿の惑星』という映画がある。あの映画では特撮もCGも製作費も、映画を助けてはくれなかった。バートンは大嘘をついて客をだまくらかさなければ成立しない映画で、嘘をつききれなかった。そしてそのことは、もうホントに残酷なほど画面にハッキリあらわれるんです。精緻なCGなんぞでは、誤魔化せないんですよ。
『ロード・オブ・ザ・リング』の「嘘」のスケールは、世界の映画史上最大級のものだ。無限のプレッシャーの中でこの難事をなしとげたピーター・ジャクソンの本気と精神力に、オレは土下座したい。見事な映画をありがとう!!
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