「第二次世界大戦と映画 アジア編」(町田)の映画ファンのコメント
鷂のコメント |
兵隊やくざ(1965/日) | 表で階級、裏で年季がものを言う軍隊ヒエラルキー。そのしがらみを裏に表に踏み破るヤクザとインテリの兄弟分。 | [投票(2)] | |
ラストエンペラー(1987/英=中国=伊) | モブに次ぐモブの映画。歴史ではなく物語。自己完結と予定調和とセンチメンタルなノスタルジア。恐らくはファッショを産んだ国の「作家」故の世界観。欠落ばかりのファミリーロマンス。 | [投票(2)] | |
赤い天使(1966/日) | 戦場では兵士は物であり、数に過ぎない。身包みはがれて裸で転がる従軍看護婦の白い遺体。 | [投票] | |
また逢う日まで(1950/日) | 「柔弱」、「未完成」。 [review] | [投票(2)] | |
ひめゆりの塔(1953/日) | 日本的、被虐的ナルシシズム。殺戮される女子供。 [review] | [投票(3)] | |
ゆきゆきて、神軍(1987/日) | キャメラのまえで得意になって正義の(神の?)使徒を演じる男。その裂け目。 [review] | [投票(19)] | |
私は貝になりたい(1959/日) | 「戦争の被害者」としての日本人。責任者の不在、曖昧。 [review] | [投票(4)] | |
爆音(1939/日) | 村長の息子が村献納のゼロ戦で凱旋飛行、それに右往左往する村民達のコメディ。爆音重く飛来するゼロ戦が圧巻。〔3.5〕 | [投票] | |
火垂るの墓(1988/日) | 無数の蛍の火は、無数の命の火で、それは朝になれば無惨な無数の骸になり果て、まとめて葬り去られるほかない。兄妹は赤い炎につつまれ、あるいは自らが赤い炎そのものとなって闇の色、光なき光(赤色)として灯り続ける。その社会、その時代、その関係、その自分で出来うるかぎりに精一杯生きて、そして死んだ。その事実。それだけの映画。最良の宮沢賢治のような戦争文学映画。 | [投票(3)] | |
陸軍(1944/日) | 出征する我が子を見送る日本のおふくろさん。そのエロス。 | [投票] | |
太平洋作戦(1951/米) | 「君が泣き虫でなくてよかった」と夫に言わせつつ、妻の隠した涙を幼い息子の言葉に託す。隠すことで示すモラル。物語には劇的な起伏もないが、この時代は観客に普通に軍隊経験があるので、軍隊生活を描くだけでも素朴な共感を得られたのかも。記録映像込みの空戦シーンは細かくカットを割らざるを得ず、いまいちつながってない。 | [投票] | |
シン・レッド・ライン(1998/米) | 世の中へ踏み出せない青年の独り言。〔3.5〕 [review] | [投票(4)] | |
潜水艦イ−57降伏せず(1959/日) | 終戦前夜、和平交渉の密使を載せた潜水艦イ−57の物語。 [review] | [投票(1)] | |
ムルデカ17805(2001/日) | [ネタバレ?(Y1:N7)] 日本人も血を流した。 [review] | [投票(2)] | |
ひろしま(1953/日) | 日教組製作の反戦映画。回想形式で原爆投下の日の広島を克明に描き出す(『二十四時間の情事』で引用された)。少なくとも、この時代の広島の教室には現に被爆した少年少女が座っていた(そしてまた無理解にも曝されていた)。 | [投票] | |
日本のいちばん長い日(1967/日) | 男達の顔の映画。「天皇陛下の御尊顔」は何故秘匿されるのか。 | [投票] |