「四方田犬彦が選ぶ、「世界映画史の113本」」(バーボンボンバー)の映画ファンのコメント
ジェリーのコメント |
裁かるるジャンヌ(1928/仏) | 「信念」という奴は、往々にしてその信念を持った当人を内側から蝕みもするし、人を人から隔てもするし、人の自由を一蹴しもする。そうした「信念」の危険な性質を、彫像のように強い顔と顔のアップのつなぎで表現してしまった前衛の傑作。 | [投票(2)] | |
赤ちゃん教育(1938/米) | この映画を見るには通常の2倍の集中度がいる。柔な神経ははねつけられる。 | [投票(2)] | |
赤い靴(1948/英) | ブラックホールのような作品。映画の時空を歪ませる。ストーリー映画で、延々バレエシーンを見せ続ける荒唐無稽もさることながら、多重露光実写バレエという幻惑的な仕掛けは狂気の域。赤い靴のシンボル性が頂点に立つアナーキーさと、リアルなバックステージ描写の並置もまた根源的にラジカル。 | [投票(2)] | |
博奕打ち 総長賭博(1968/日) | 主要な登場人物たちが下す一生に一回あるかないかの人生の決断のつるべ打ちによって予測不可能な展開を見せる奇跡のように精妙なストーリーの流れ。鶴田浩二の黒紋付の肩の線が例えようもなく美しい。練達の照明技術に支えられた画面の彫りの深さに驚倒させられる。 | [投票(2)] | |
毒薬と老嬢(1944/米) | 人物造形の趣味悪さは、カルト映画の域。実はフランク・キャプラの他作品でも奇天烈性のレベルの相当に高い登場人物が時折登場する。不具不能ゆえに立っているキャラクターというのがキャプラ的人物の本質。ヒューマニズムの裏側には残忍さがはりついている。 | [投票(2)] | |
理由なき反抗(1955/米) | マッチョイズム抜きで大義や正義を語る知性をアメリカ映画がようやく持ち始めた気がする。ジェームズ・ディーンが初めて造形したナイーブな泣き笑いのような表情は、累々と受け継がれてブラッド・ピットにいたる流れとなる。 | [投票(1)] | |
ニノチカ(1939/米) | グレタ・ガルボの硬い表情が一転して笑顔ではじけるとき、世界がとろけ落ちる。クール・ビューティにこそユーモアは必要なのだ。当時の酷薄な情勢を見事上品なコメディに仕立て上げた演出や、セット美術と撮影のコラボレーション度合いはこれ以上ないレベルと断言できる。 | [投票(1)] | |
めし(1951/日) | 女性は家にいるのが一番って言われ続けて年をとっていく。それを肯定できるときとできないときがあるからこういうドラマが作られる。女優陣が豪華。 | [投票(3)] | |
いとこ同志(1959/仏) | アメリカ映画に学び、アメリカ映画特有の映像誇張感の精髄をさらに磨きぬいた痕跡が実に瑞々しい。人物との距離感やカットつなぎの巧みさが生む効果だ。計算されつくした世界設計の中に織り込まれた人間感情はまるで練り絹のように細緻で、俳優の体温や息衝きが立ち昇ってくる。 | [投票] | |
幕末太陽傳(1957/日) | 薦められて見たのだがさほどでもなかった。あまりに現代劇になりすぎてないか? | [投票(1)] | |
キューポラのある街(1962/日) | 人間の生命力が意固地なまでに前を向く。その生命力を一身に吉永小百合が体現する。夕景に立つ吉永小百合が雄渾で美しい。黄昏、衰弱、苦難、変転のときほど生命は美しいことをこの映画は教えてくれた。 | [投票(4)] | |
秋津温泉(1962/日) | 最初、桑田さんかと思った。男の甘えって描くと嫌らしくなると思うが最後まで見ることができました。 | [投票] | |
ゲームの規則(1939/仏) | 人物が、監督の指図によらないかのように動くという稀有の事態。虚構を見に来るためにやってきた観客の前に展開されるのは現実以上の現実。「必要とあらば映画の中に社会を閉じ込めてみせる」とでもいいたげなゆるぎない自信を感じさせる映画。ただし、 [review] | [投票(1)] | |
勝手にしやがれ(1959/仏) | 映画史的にいまだに事件であり続けている数少ない作品の一本。この方法論が決して主流にはならないという意味で永遠の革新性をもち続けるだろう。どんでんを排したぶった切ったような編集と、主人公の行動や考え方が、リリカルに共振する美しさを評価すべきと思う。 | [投票(2)] | |
自転車泥棒(1948/伊) | あの子役、顔が関根勤。→ [review] | [投票(1)] | |
ラ・パロマ(1974/スイス) | 完全にネタばれを書いちゃうので→ [review] | [投票(4)] | |
キートンの大列車追跡(1926/米) | 徒手空拳の格好良さ。映画の教科書。 | [投票] | |
市民ケーン(1941/米) | 影響力の強さでは史上最強の映画と思う。パンフォーカスはさることながら「ローズバッド」的小物の使い方をまねた映画はたくさんあると思います | [投票] | |
メトロポリス(1927/独) | 地上と地下との落差がすごい。ブリギッテ・ヘルム、この二役はつらかったと思う。 | [投票] | |
羅生門(1950/日) | 終幕に向けて快走する速度にしても、最後の救済のシーンの清浄感にしてもキザといいたいくらい斬新だ。どろどろもったりした泥絵の具のような日本の芝居の模倣からスタートした日本映画が、派手なアクション抜きで自らのあく抜きに成功した最高の事例。 | [投票(1)] | |
美女と野獣(1946/仏) | 不思議な雰囲気。奇妙な美術。でも、何だったのでしょう。 | [投票] | |
吸血鬼(1932/独=仏) | 傑作。正体不明の農夫の持つ大鎌のイメージが全編を支配する。土地と土地の連携を断ち切り、人と人との情報交換を断ち切り、人体とその影とを断ち切る。あらゆるものから遮断された、狂った世界としてクルタンピエール村がほのじろく浮かび上がる。 [review] | [投票(2)] | |
ジャンヌ・ダルク裁判(1961/仏) | 一対多の戦いというのはこういうこと。このテーマをあらわすのにもっとも簡素な媒体としてこの映画が存在する。 [review] | [投票(3)] | |
青い山脈・続青い山脈(1949/日) | 音楽の方が遙かに長生きするであろう。しかし、男性の頬を思い切りはる原節子を見て当時の息吹を感じる人は多いはずである。 | [投票(1)] | |
アレクサンドル・ネフスキー(1938/露) | 全編を通じて一定に低く設定される地平線の位置。空は戦闘も恋愛もすべてを見ている。 [review] | [投票(2)] | |
ポンヌフの恋人(1991/仏) | 太古、地球で初めて陸に上がった水生動物が感じたにちがいない寂しさ。その寂しさの遺伝子をこの二人は脈々と受け継いでいる。 | [投票(4)] | |
裏窓(1954/米) | 室内一本で撮り続けるという難関に挑戦し乗り越えた作品。例により女優を危なっかしい目にあわせている。グレースのなんと品の良いことよ。 | [投票(4)] | |
カサブランカ(1942/米) | 決めのせりふのオンパレード。愛する女を命がけで守る男を懐深く演じこなしたハンフリー・ボガートに乾杯。 | [投票] | |
めまい(1958/米) | 映画によるヒッチコックの女優論。呪縛された女性を描くヒッチコック作品の中でも最高のできではないか。もちろん、キム・ノヴァクのため息の出るくらいの美しさによるところ大。 | [投票(4)] | |
サイコ(1960/米) | この映画の展開は一部「安達原の鬼女」話に近いものがあるけれども、絢爛たる映画技法の駆使によって、だれもそんな類似品の存在なぞ思い出しもしない。類似品との遠近で評価できないのがヒッチコックの底なしの凄さ。 | [投票(1)] | |
道(1954/伊) | いなくなってはじめて分かる人の温かさ。寂しさにつぶされそうになったらこの映画を見ると良い。もっとつぶれて、そして暖かくなれる。 | [投票(8)] | |
モダン・タイムス(1936/米) | 出て来るわ出て来るわ、ぞろぞろぞろぞろ出て来るわ。同質化時代を痛烈に非難する主張は今なお強い、世にまれな作品。 | [投票] | |
ローズマリーの赤ちゃん(1968/米) | 引越しは出来れば避けたい危険行為であり、医者のいうことが正しいとは限らず、妊娠は異物を抱え込むことであり、隣人の正体など分かったものではないということが、飛び切りの説得力ある演技と演出で語られている。日常生活と地続きの恐怖世界に対する眠った感受性が、痛覚として呼び覚まされる。ミア・ファロー、完璧だ。 | [投票(8)] | |
大人は判ってくれない(1959/仏) | できたての傷のひりつくような感じ。空に吸われていく揮発性の液体のような少年の心。粘つかない反抗。 | [投票(2)] | |
お熱いのがお好き(1959/米) | 男が女のお化粧をまねするだけのことがどうしてここまでおかしくなるのか。照明や構図やカットなど、職人的技術じゃなく、ワイルダーの監督としての企画力、判断力、説得力などの魅力が大きい。一言で言うと人たらしの能力の凄み。ハリウッドの秀吉。 | [投票(4)] | |
わが谷は緑なりき(1941/米) | 聖ジョン・フォードの至宝。全カットが美しさと抒情に満ちている。今の時代にこそ見てほしい。 | [投票(4)] | |
マルタの鷹(1941/米) | 「3つ数えろ」と比べると、マーロウよりもぎらついた感じがする分、余裕がない。それを良さと見る人もいるはず。 | [投票(1)] | |
燃えよドラゴン(1973/米=香港) | 今までみた映画の中で、もっともアドレナリン分泌が高まった映画。つまり、心に感動をあたえるなんてもんじゃなく、観客の心身を根底から感動させきる映画。 | [投票] | |
エル・スール −南−(1983/スペイン=仏) | 凛とした青、切ないオレンジ、そして何よりも包み込むような黒。色彩が主役であるかのようです。オメロ・アントヌッティの奥深い魅力を何度も味わいたくなる。 | [投票(2)] | |
大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日) | 描かれているのは子供だ、と初回見たときには思った。今回見たときは少し違った。 [review] | [投票(5)] | |
近松物語(1954/日) | 「和事」とは何かを知りたかったら、この長谷川一夫を見るべし。芝居から映画によくぞ移植しました。宮川一夫の入魂のキャメラ! | [投票] | |
気狂いピエロ(1965/仏) | こんな奴らだが、「君はちゃんと空の雲や路傍の花をみているか」と説教たれられているような不思議な感触。 | [投票(5)] | |
8 1/2(1963/伊) | 映像には驚いた。マストロヤンニの眼鏡は似合ってませんね。 | [投票] | |
駅馬車(1939/米) | この前後2・3年がアメリカ映画のトーキー後の最高傑作時代という気がする。本作品はその中の金字塔。 | [投票(1)] | |
M(1931/独) | 映画が勧善懲悪劇であることのクリシェから軽々と逸脱している。正義と悪の対立を異常な集団と異常な個人の闘争に変質させた構想力が素晴らしい。ワイマール・ドイツの潜在的脆弱性に対する嗅覚は今なお貴重だ。ヒトラー内閣成立後の制作だったらこの映画は公開されただろうか。 | [投票(3)] | |
童年往事・時の流れ(1986/台湾) | 省略を拒み、直視すべき光景を冷徹に冷静に観客に見据えさせる無骨さと不器用さが、ドラマ性を抑えた静かな画面構成や美しい風景描写と両立している奇跡に驚かねばならない。一方で、見えすぎる眼鏡をかけさせられたようなかすかな不快感も残る。 | [投票(1)] | |
昼顔(1966/仏) | きれいは汚く、汚いはきれいという、くるくると回り続けるコンパスの針の動きのような真理を一身に体現したカトリーヌ・ドヌーブが素晴らしい。狂った樹海の狂った磁場は、この監督にしか描けぬと断言する。杖を持ったチンピラのキャラの立ち方も最高。 | [投票(1)] | |
姿三四郎(1943/日) | 轟夕起子との出会いのシーン、良かった。対決シーンは荒唐無稽で黒沢リアリズムに反すると思う。 | [投票] | |
七人の侍(1954/日) | 「出演者」欄にも出ていないけれど、とにかく本作の主役はあの爺様(じさま)高堂国典! [review] | [投票(3)] | |
秋刀魚の味(1962/日) | 役者が木偶の坊になりがちな小津作品の中で加東大介は、中村鴈次郎・杉村春子と並んで強烈です。東野英治郎と杉村春子の親子は、これまでの作品にない陰惨さで、新たな予感を感じさせているのに。合掌。 | [投票(4)] | |
雨月物語(1953/日) | 世評は高いし、確かに空間把握は独創的で感心するが、こけおどしのような画面がやたら続くという印象がある。そこに溝口特有の濃厚人間描写が無遠慮にからまって不均整感と受け狙いの臭さが漂う。水戸光子が濃さを程よく薄めて清涼感を画面にもたらす。 | [投票] | |
日本の夜と霧(1960/日) | 当時、商業映画としてこのテーマは斬新だったろう。上位者の下位者に対する圧力と侮蔑、そこから生まれる集団的ハラスメント、方針の求心性と遠心性、構成員の日和見化と先鋭化・・・様々な組織内心理が精密に刻まれた稀有な作品。制作陣の心熱が伝わり、今なお脈打つ。 | [投票(1)] | |
我輩はカモである(1933/米) | クレージーキャッツやドリフのギャグの原点。鏡のマネや落ちてくるシャンデリア、いろいろ思い当たる。脱線に次ぐ脱線で、我々が常套的に思い描くストーリー進行は破砕される。特に今回、戦争という大真面目な行為の喜劇的側面が極大まで誇張される。この破壊力、誰も超えられない。 | [投票] | |
丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | 被写体が動くことにより映画の価値が生まれるという生無垢の基本原理が全ショットであらわである。とにかく佐膳と子役と壷がよく動く。この動きを動きとして面白く見せるのに不動の被写体があえて取り込まれている。それが女達で、この静と動のずれが上等のユーモアを生む。 | [投票(5)] | |
刺青(1966/日) | 「性典」もののように、純情の仮装の下に図らずもあらわれてしまうエロスが若尾文子の本役だと思うのだが。ここまで自分の資質に気づいてそれを利用するような役は、努力は認めるが彼女には向かない。色っぽいし惜しいとは思うけれども。 | [投票(2)] | |
ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984/独=米) | シーンがカットするたびに暗転するモノクロ画面がVERY COOOOOOL! というところに、とりあえず5点をあげたい。「とりあえず」と書いたのには訳がある。それは→ [review] | [投票(3)] | |
瞼の母(1962/日) | 記憶ではモノクロ映画だったのだが。しかし、この色彩映画の色彩設計の杜撰さは何事か。濁ったキャメラにとらえられた原色の不調和に目を背けたくなる。しかし奥行きの使い方に若干新味はあるし、4者4様の老女たちの今の描き方は好きなので、この点となった。 | [投票] | |
鶴八鶴次郎(1938/日) | 長谷川一夫、山田五十鈴という花の主役二人の物語をここまでうまく回せたのも、佐平という脇役の設定と、それを演じた藤原釜足の見事な演技あればこそ。脇役がドラマを支えた傑作中の傑作としてずっと語り続けられてほしい。 | [投票] | |
ウンベルト・D(1952/伊) | 貧しさを身体の痛みとして表現するという戦略が、あえて演技の零度をマークする素人を起用するという戦略と一体化し、圧倒的な明快さを生む。極端な遠近法的風景の消失点から表れるのは女家主や機関車など、この映画の主人公にとって禍禍しいものばかり。そして、 [review] | [投票(3)] | |
馬(1941/日) | ひとめで分かる岩手山。ナツカシー。デコチャンかわいー。でも家の中臭そう。 | [投票(2)] |